住吉城(すみよし)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 住吉玄蕃
 遺構  : 堀、土塁
 交通  : JR高崎駅よりバス。「沖」または「沖白川橋」
       バス停下車


       <沿革>
           箕輪城の支城として、住吉玄蕃によって築かれたといわれる。そうであるとすれば、箕輪城が
          築かれた永正年間(1504〜20)以降の築城ということになる。
           その後、清水小内記正智が城主となったと伝わる。永禄九年(1566)の箕輪城の戦いで長野
          氏が滅亡した際、主君長野業盛に殉じた武将のなかに「清水」という人物がみられる。あるいは
          正智を指すとも考えられるが、詳細は不明である。箕輪落城によって、住吉城も廃城となったと
          思われる。


       <手記>
           住吉城は、烏川と白川の合流点の、字城山と呼ばれる河岸に築かれた城です。城の北半分は、
          長野堰と県道10号線によって破壊されています。
           城の南側、動物病院と郵便局の間に、水濠跡の水路と土塁跡の段築が残っています。また、
          白川沿いの城の南西端に、立派な城址碑が建てられています。


           
 住吉城址碑。
水濠跡と土塁跡。 


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