正直館(しょうじき) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 正直氏か | |
遺構 : 土塁、堀、虎口 | |
交通 : JR水郡線磐城守山駅徒歩30分 | |
<沿革> 館主として正直高光の名が伝わり、天正年間(1573〜92)に田村氏とともに没落したと される。正直氏の出自などについては定かでない。 <手記> 館跡の南東隅付近にゴミ集積所があり、その背後付近の裏手から、泥湿地と化した堀 を渡るかなりスリリングな細道が付いています。それを抜けると、出枡形のように張り出し た方形の曲輪があり、藪とまでいかないものの踏み分け道もあやふやな低木林の先に、 主郭があります。主郭は打ってかわって比較的明るい竹林が広がり、土塁が巡るようす もはっきり見て取れます。なんと言いますか、館名のとおり「フフ…藪でイキがっていても カラダ(遺構)は正直だな…」といった感じで思わず笑みがこぼれます。 正直館は西側が台地の斜面になっていて、西辺には小さいながら枡形になった虎口や 横堀状の帯曲輪が残っています。東辺は前述のとおり泥湿地のような堀が巡っていて、 南辺は民家です。北辺にも土塁と空堀がありますが、藪のひどい季節でなければ、こちら からもなんとか出入りできます。 主郭の北には菅船大明神があり、その境内裏にも空堀が巡らされています。堀遺構は ここが最もはっきりしていて、出曲輪であったものと推察されます。 このように、2か所の出曲輪や横堀などを具えた正直館は、単なる在地領主の居館に とどまらない役割をもっていたように感じられます。すぐ近くには御代田城があることから、 天正八年(1580)の御代田合戦に前後して、田村方の守備陣地の1つとして改修されたの ではないかとも考えられます。 それにしてもまぁ、なんで正直村なんて名前になったのか、気になりますが分かりません でした^^; |
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南東隅の入城口付近の堀。 | |
入城路付近のようす。 | |
南東の出曲輪の土塁。 | |
同じく堀跡。 | |
主郭の土塁。 | |
土塁の屈曲部。 |
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主郭西辺の喰い違い虎口。 | |
虎口から斜面下方を俯瞰。 | |
西辺下の横堀。 | |
北辺の堀と土塁。 | |
同上。 | |
菅船大明神。 | |
境内裏の空堀。 | |
同上。 |