田辺島城(たべしま)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 福留氏
 遺構  : 削平地
 交通  : 土佐電鉄新木電停下車徒歩15分


       <沿革>
           長宗我部氏家臣福留氏の居城である。福留氏は、長宗我部元親に仕えた飛騨守親政・隼人佐
          儀重父子を輩出したことで知られる。
           親政は、永禄六年(1563)に安芸国虎が岡豊城に攻め寄せた際、僅かな城兵とともに奮戦して
          撃退した。このときの活躍は、「福留の荒切り」と称されるほどであった。天正五年(1577)、親政は
          伊予で戦死し、儀重が跡を継いだ。
           儀重も父に劣らず勇名を馳せ、「蛇もハミもそちよれ、隼人様のお通りじゃ」と童謡に歌われた。
          また、元親が禁酒令を発布したときには、これを破ろうとした元親を諌めた。儀重は、天正十四年
          (1586)の戸次川の戦いで戦死し、跡を子の政親が継いだ。
           慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いで長宗我部氏が改易になると、政親は土佐を出国した。これに
          より、田辺島城も廃城になったものと思われる。


       <手記>
           田辺島城は国分川沿いの独立小丘上に築かれています。今でこそ国分川もしっかり護岸され、
          周囲は穀倉地帯ですが、当時はかなり海が迫っていたものと思われます。おそらく、田辺島の名の
          とおり、田んぼが辺りに散在する湿地帯に浮かぶ島のような城だったのではないでしょうか。
           現在、城の東端と思われる場所には隼人神社が鎮座しています。本丸は西端の最高所と思われ、
          本丸とその下の曲輪の、2段の削平地が認められます。
           城へは、西麓にある田辺島公民館の奥から整備された登城路があります。ただ、石碑や案内が
          ないのが残念です。

           
 田辺島城遠望。
本城域の削平地。 


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