田切城(たぎり) | |
別称 : 平林城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 田切氏 | |
遺構 : 曲輪跡、堀跡、土塁 | |
交通 : JR飯田線田切駅徒歩5分 | |
<沿革> 源満快流片切氏の庶流・田切氏の居城とされる。田切氏については、15世紀後半ごろの田切 神五郎為茂や、応永七年(1400)の大塔合戦に宗家の片切氏らと共に信濃守護・小笠原長秀へ 与して参戦した田切五郎七といった名がみられるが、詳しい系譜は定かでない。 天文二十三年(1554) に武田晴信(信玄)が下伊那へ侵攻すると、片切氏はじめ南信の諸将は 降伏した。しかし、伊那谷が平定されると田切城の北西に田切関所が設けられ、堀無手右衛門が 関守に任じられたことから、田切氏は滅ぼされたものとみられる。 <手記> 中田切川の河岸段丘上に築かれた城です。田切公民館の北西に位置し、背後の堀跡が切通し となっています。そこから河岸側に向かって右手が主郭で、堀跡に沿って土塁が残っています。 郭内は明るい林で、奥へ進むと一隅に小さなお社が祀られていました。 前後にも曲輪が付随していた可能性も考えられますが、民家の敷地となっていて現状では確認 は困難です。また河岸側には農業用水が通されており、こちら側の地形もいささか改変されている ようです。 |
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堀跡の切通し道。 | |
堀沿いの土塁。 | |
同上。 | |
郭内のようす。 | |
郭内一隅の小社。 | |
曲輪北西隅。 | |
北辺河岸沿いに開削された用水。 | |
城下のようす。 |