高玉城(たかだま) | |
別称 : 高玉館 | |
分類 : 平城 | |
築城者 : 鮎貝盛宗 | |
遺構 : 土塁・堀跡 | |
交通 : 山形鉄道フラワー長井線蚕桑駅徒歩10分 | |
<沿革> 『伊達世臣家譜』によれば、「日傾斎の弟茂平が下長井高玉城に住み、高玉氏を称し 四世にして亡ぶ」とある。日傾斎とは鮎貝氏5代鮎貝宗重(盛次)のことであり、高玉城は 宗重や茂平の父鮎貝盛宗によって、永正年間(1504〜20)に築かれたものと考えられて いる。 高玉氏滅亡の理由は不明であるが、このとき高玉城も廃城されたと思われる。 <手記> 城地は北側と東側が斜面となっています。主郭部は現在畑地や住宅地となっていて、 その存在は分かりにくいのですが、北側には土塁と堀跡が残っていました。また、県道 9号線沿いには案内板が立っています。 |
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高玉城主郭部 |
高玉城土塁と堀跡 |