高田塁(たかだ)
 別称  : 高田城、高田館、殿内遺跡
 分類  : 平山城
 築城者: 不明
 遺構  : なし
 交通  : JR常磐線柏駅よりバス、
       「熊野神社」バス停下車


       <沿革>
           『本土寺大過去帳』に、「文明八年(1476)匝瑳隼人佑道胤入道 高田」「文明十年
          (1478)於堺根原打死(中略)匝瑳勘解由殿(中略)高田」「大永七年(1527)理清尼 
          匝瑳肥前守悲母 高田」などとあり、匝瑳氏との関連が指摘されている。匝瑳氏は、
          千葉氏の祖平忠常の九男常綱にはじまるとされる。後北条氏が進出すると、比較的
          早い段階で同氏に従属し、江戸衆に組み入れられた。

       <手記>
           大堀川河岸上に鎮座する熊野神社周辺が高田塁跡と比定されていますが、確定
          はしていません。『日本城郭大系』によれば、柏第四小学校東側の台地上にあった
          とする説もあるそうです。
           神社の東側には、藪のなかに立派な土塁がありますが、これは江戸時代に設置
          された高田台牧の野馬除土手(馬が逃げないための土塁)だそうです。とはいえ、
          これが江戸時代に新造された土手とは限らないような気もするのですが…そこまで
          は何ともいえません。そのほかにとりたてて目につくものはありません。
           ただ、殿内の字が残る以上、この地に城館が営まれていた可能性は十分にある
          ものと思われます。

           
 熊野神社を麓から望む。
熊野神社本殿。 
 野馬除土手。


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