高浜の砦(たかはま)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 長野業正
 遺構  : 堀、土塁、曲輪跡
 交通  : JR高崎駅よりバス。「鳥居沢」バス停下車


       <沿革>
           箕輪城の支城として、長野業正によって築かれたとみられる。
           永禄九年(1566)、長野氏攻めの大軍を起こした武田信玄は、まず高浜砦を急襲した。
          那波無理之助宗安率いる250の兵は、夜陰に紛れて雉子ヶ尾峠を越え、明け方に砦へ
          攻めかかった。城将匂坂長信はこのとき箕輪城に詰めていて、主のない砦はたちまちに
          落ちた。宗安は、高浜砦に火を放って東へ向かった。
           同年中に箕輪城は落ち、長野氏一族郎党は城内で自害した。このとき主君長野業盛に
          殉じた家臣のなかに、高浜六郎業方の名がみえる。あるいは高浜砦と関係のある人物と
          思われるが、詳細は不明である。


       <手記>
           高浜砦は、烏川とその支脈の鳥居沢川が形成する河岸の細い尾根上の城です。尾根
          を空堀と土塁で切っただけのほとんど単郭の砦です。その土塁と堀は、以前は東側にも
          見られたようですが、宅地などの開発により消滅したようで、現在は西半分のみが残って
          います。
           また砦の南東端には、稲荷神社となっている小さな腰曲輪があります。城址碑や説明
          板などはありません。


           
 空堀と土塁。
腰曲輪跡とみられる神社。 


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