高宮城(たかみや)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 高宮氏
 遺構  : なし
 交通  : 近江鉄道高宮駅徒歩10分


       <沿革>
           六角佐々木氏頼の三男信高がこの地に居城を築き、高宮氏を名乗った。高宮の地は、
          その後六角氏と京極氏、戦国に入ると浅井氏との間の係争地となった。
           城地といわれる高宮小学校の脇には、高宮氏の当主が隣領の多賀氏の娘と結婚した
          際に、化粧料代わりに引かせたといわれる用水が「化粧川」として残っている。ただし、
          この高宮氏の当主が誰であるかは詳らかでない。
           天正元年(1573)に織田信長が浅井長政を滅ぼすと、高宮氏は浅井氏に殉じて没落
          したとされる。高宮城も、このときに廃されたものと推測される。


       <手記>
           高宮小学校の北西角に石碑が建てられています。しかし、城の遺構と呼べるものは
          なく、化粧川や江戸時代中山道の宿場であった高宮の街並みに昔を偲ぶ程度です。

 高宮小学校隅の石碑。
化粧川(右下の水路)。 


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