高野瀬城(たかのせ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 高野瀬氏
 遺構  : 土塁
 交通  : 近江鉄道豊郷駅徒歩10分


       <沿革>
           佐々木氏庶流高野瀬氏の城である。高野瀬氏は、平安末の武士佐々木経方の曽孫
          愛知家行の曽孫左近将監家広が、高野瀬村に住したことに始まるとされる。高野瀬城
          の築城時期については定かでない。
           高野瀬氏は、応仁元年(1467)の応仁の乱の際は、京極佐々木氏に従って細川方に
          属した。享禄二年(1529)には、今度は六角佐々木氏と細川氏の縁組の使者として、
          高野瀬家澄の名が見える。また同じころ、高野瀬隆重が定頼の命により肥田城を築き、
          居城を移したとされる。定頼は、浅井氏と対立した際には高野瀬城に滞在して、軍容を
          整えたともいわれる。
           その後、肥田城は永禄三年(1560)の野良田の戦いなどの舞台となったが、高野瀬
          城の名はみられなくなる。あるいは肥田城移転からまもなく廃城になったとも考えられ
          るが、詳細は不明である。


       <手記>
           旧中山道から300mほど西に入った古河ASの豊郷工場付近が、高野瀬城跡とされて
          います。遺構と呼べるものはほとんどど残っていませんが、当時は水が巡っていたよう
          です。
           工場の入口と、工場北東の集落の集会所(?)脇に、それぞれ石碑が立っています。

 工場の入口にある石碑。
工場とは反対側、集会所のようなところに立つ石碑。 
 高野瀬城址遠望。


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