鷹巣山城(たかのすやま) | |
別称 : 松山城 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 松本氏か | |
遺構 : 曲輪跡、土塁、堀 | |
交通 : 熊野本宮大社よりバス 「大居口」バス停下車徒歩20分 |
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<沿革> 松本氏の居城鬼ヶ城の支城と考えられているが、詳細は不明である。鷹巣山城の背後の 山頂は鷹峯陣屋平とも呼ばれ、別に鷹巣陣屋城が設けられていたとされる。『日本城郭大系』 によれば、鷹巣陣屋城は羽柴秀吉の紀州攻めにおける陣城跡とも、鷹之巣氏の居城跡とも 伝わる。 陣屋城の性格についてはともかく、鷹之巣氏が存在したとすれば大居村周辺を治める在地 領主と推測される。鷹巣山城がその居城であったと考えることも、自然であろう。鷹之巣氏の 出自については不明だが、松本氏の一族あるいは家人とみることも十分できると思われる。 天正十三年(1585)、鬼ヶ城は新宮の堀内氏善に攻められ落城した。このとき、鷹巣山城も 落とされて廃城となったものと推測される。 <手記> 鷹巣山城は、熊野川の屈曲部にぽっかりと浮かぶ独立山塊の、南東端に突き出た峰上に あります。北東麓は緩やかな傾斜が続いていて、大居の集落が広がっています。城跡へは、 東光院北西の共同墓地の南端から登ることができます。登りはじめは、ほとんど獣道なので 心許ないのですが、だんだんと普通の尾根筋の登山道となります。 途中、3〜4段の削平地群にあたります。しかし、ここから主城域までは原地形の緩やかな 尾根道が続きます。鷹巣山城の縄張り上の最大の謎といえます。主城域は、主郭とその1段 下の南北の副郭から成っています。主郭には、誰のものかは分かりませんが、宝篋印塔が 建っています。南の副郭は先の原地形の峰へと続くため、遺構は不明瞭です。対して、北の 副郭には周囲を囲う土塁の一部が残っています。 主城域の北方には、2条の堀切が残っています。これらのことから、鷹巣山城は一時的な 仮造りの城ではなく、ひと通りの体裁を整えた城であったことがうかがえます。鷹巣山城は 鬼ヶ城の支城とされていますが、鬼ヶ城へ向かう果無街道など主要街道には面しておらず、 実際の戦略上の価値について大いに疑問が残ります。おそらくは、周辺では比較的生産性 の高い(城の南東麓には不動の滝が流れています)大居の集落を押さえる出先機関的な城 だったのではないかと推測されます。 |
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鷹巣山城址遠望。 | |
登城途中にある削平地群。 | |
主郭を望む。 | |
主郭に建つ宝篋印塔。 | |
主郭北の副郭。 奥に土塁が見えます。 |
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主城域背後の堀切その1。 | |
2条目の堀切。 |