高雄城(たかお) | |
別称 : なし | |
分類 : 山城 | |
築城者: 細川国慶 | |
遺構 : 不詳 | |
交通 : 京都市街よりバス。「高雄」または「山城高雄」 バス停下車徒歩20分 |
|
<沿革> 『厳助往年記』によれば、天文十六年(1547)に細川玄蕃頭国慶によって築かれたと される。国慶は細川氏綱の一族といわれ、反細川晴元を掲げて挙兵した氏綱に従った ものとみられる。同年の内に、高雄城は(おそらく晴元方の攻撃によって)落城し、この とき神護寺は金堂以下ことごとく焼け落ちたとされる。 『言継卿記』によれば同二十二年(1553)、三好長慶の寝返りによって氏綱方に京を 逐われた晴元の残党が、今度は逆に「高尾五台山」に城を築いて籠もったとされる。 この城も、三好勢の攻撃によって同年中に落ちたと見られている。 <手記> 神護寺一帯が城域といわれています。むしろ寺を城塞化したものといった方が正確で しょう。神護寺背後の高雄山頂にも施設があったともいわれていますが、遺構は明確 ではないようです。 高雄城のあった神護寺は、戦略的にみると京と丹波を結ぶ周山街道を扼し、京洛の 入り口を押さえる位置にあります。一帯は険しい渓谷となっていて、寺に行き着くには 一旦川底に下り、九十九折の坂や石段を登らなければなりません。 そんな険しい神護寺は、かわらけ投げ発祥の地といわれています。とはいえ、夏は 川床料理、秋は紅葉でにぎわう観光地ですので、地形や地勢以外に城の存在を偲ぶ ものはありません。 |
|
神護寺楼門と石段。 | |
神護寺(かわらけ投げポイント)からの眺望。 |