高階氏館(たかしなし)
 別称  : 西忍館
 分類  : 平山城
 築城者: 高階保遠か
 遺構  : なし
 交通  : 本島港から徒歩20分


       <沿革>
           承元元年(1207)、浄土宗の祖とされる法然は承元の法難により土佐国へ配流とされたが、
          法然に深く帰依していた九条兼実は老体の上人を慮んぱかり、九条家領の讃岐国塩飽荘に
          配流先を変更して庇護した。都を出て20日ほどの後に塩飽本島へたどり着くと、在地の地頭・
          高階保遠は法然を居館へ招いて手厚くもてなした。
           滞在中、法然の教えに深く感じ入った保遠は、屋敷の前に草庵を建てて道場とした。法然は
          数か月後に同国小松荘(現まんのう町)へ移されたが、保遠はその後も専修念仏の暮らしを
          送ったとされる。
           その後の高階氏および館については不明である。


       <手記>
           保遠が営んだ草庵の跡には、天正六年(1578)に徳誉道泉法師が興した専称寺があります。
          境内には江戸時代の年寄吉田家の墓がありますが、中興当時すでに草庵は荒廃していたと
          され、鎌倉時代中期以降は塩飽水軍が台頭することから、保遠の代を以て高階氏館は廃絶と
          なっていたのではないかと推測されます。
           専称寺は笠島地区の南の峠に面しており、境内はきわめて狭小です。本当にこんなところに
          貴族領の地頭館が設けられていたのか、個人的な直感としてはかなり不思議に感じます。すぐ
          向かいの山には笠島城がありますが、保遠の代で廃館となっていたのであれば、両者が併存
          していたことはないものと考えられます。

           
 峠の向かいから専称寺を俯瞰。
専称寺本堂。 
 境内の年寄吉田家の墓。


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