高柳土居(たかやなぎ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 西内氏か
 遺構  : 土塁
 交通  : JR土讃線土佐山田駅徒歩20分


       <沿革>
           山田城主山田氏の重臣西内氏の土居とされる。西内氏は細川頼之の弟で阿波細川家(讃州家)
          の祖となった細川詮春の後裔とされ、細川則英が応仁年間(1467〜69)に土佐へ下向し、山田氏に
          仕えたことに始まるといわれる。
           山田基通と長宗我部国親が対立すると、基通は西内常陸を加茂に配して備えた。常陸は智勇や
          用兵に長けていたとされ、国親も常陸がいる間は手を出せなかったといわれる。国親は、重臣吉田
          重俊の言を容れて謀略をもって常陸を暗殺し、それから間もなく山田氏は国親によって滅ぼされた。
           常陸の子佐渡守は、その後長宗我部氏に仕えたとされる。


       <手記>
           高柳土居は、舟入川に面した平地の館城です。とくに要害性もなく、全くの平時の居館であったと
          思われます。
           現在、田畑の真ん中に土塁の一部がコの字型に残されています。他の土居の例に漏れず墓地に
          転用されたため石垣で固められているものの、比較的良好に残存しています。ただし、この土塁を
          そのまま方形に直すと、居館としても余りに狭くなってしまいます。おそらく高柳土居は複数の郭を
          もった土居城で、現在目にしているのは居館用ではない曲輪の一部であろうかと拝察されます。

           


高柳土居の土塁。


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