武城(たけ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : 土塁、堀
 交通  : JR高崎線桶川駅よりバス
       「西中学校入口」下車すぐ


       <沿革>
           『中世城館調査報告書集成』に記載があり明確に遺構が残るが、史料や伝承はなく
          詳細は不明である。


       <手記>
           桶川市循環バスの西中学校入口バス停前に竹内美容室というのがあり、その奥に
          大きな敷地をもつお宅があります。ここが武城の中心部とみられ、その背後(北辺)と
          西辺に土塁と堀の跡が見られます。ただ、この北辺と西辺の土塁は直交しておらず、
          上の地図に示したように西辺がカーブしているのが特徴です。方形館が基盤になって
          いるとは思いますが、屈曲した先の北西方面がどうなっていたのかは、なんとも捉え
          にくい感じです。
           北辺の堀と土塁は浅いものの、大部分が道になっていて歩くことができます。一方、
          西辺は前述のお宅と隣の民家の境になっていて、近づくには民家の敷地を通り抜け
          なければなりません。私が訪れたときは、幸いにもこの民家の方がいらっしゃって、
          お伺いしたところ快く通していただけました。
           こちらの方が、北辺よりも土塁がしっかりと残っています。堀はやはり浅いのですが、
          民家の方のお話では昔は子供がすっぽりはまるくらい深かったそうです。ただ、城の
          歴史については、やはりわからないとのことでした。
           『集成』にある武城の名の由来も不明ですが、おそらく地名の「竹ノ内」に関連する
          ものと思われます。だとすると、「竹ノ内」は「館ノ内」の転訛とも考えられ、その場合、
          武城という城名で呼ばれていた可能性はかなり低くなるでしょう。
           武城の南500mほどのところには太郎兵衛屋敷があり、その東側の江川対岸にも
          城館跡とされる白旗山があります。3城とも実在したとすれば、ともに江川の開発領主
          一族によって築かれたものと推測されます。

           
 北辺の北辺の堀と土塁跡。
同上。 
 
 西辺の土塁。
同上。 
 西辺の堀と土塁。
同上。 


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