滝脇陣屋(たきわき)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 松平乗次
 遺構  : 石垣か
 交通  : 東海環状自動車道豊田松平ICより
      車で25分


       <沿革>
           十八松平の1つ滝脇松平家の江戸時代の陣屋跡である。滝脇松平家は、安祥松平家
          初代松平親忠の九男乗清が、長享元年(1487)に滝脇郷に住したことに始まる。乗清に
          ついては、親忠の次男で大給松平家初代の松平乗元の子ともいわれる。
           天正十八年(1590)に徳川家康が関東へ移封となると、滝脇松平乗高もこれに従った。
          関ヶ原の戦い後の慶長六年(1601)、乗高の子乗次は滝脇村を含む旧領600石を与え
          られた。乗次はかつての居館跡とは別とされる場所に、新たに滝脇陣屋を築いた。以降、
          加減封などもなく、明治維新に至ったものと思われる。

       <手記>
           滝脇松平氏の当初の館は長松院付近にあったとされ、滝脇陣屋はその門前から谷戸
          を挟んだ西側の山手にあったとされています。私が訪ねたとき、山林の一角が切り払わ
          れていて、そこに2段の石垣が覗いていました。おそらく、陣屋の石垣ではないかと思い
          ます。ただ、そこへ向かうには谷戸田を抜けなければならないのですが、獣除けの電線
          でしっかりガードされていて勝手に歩いてよさそうな雰囲気ではありません。仕方なく、
          遠目に石垣を眺めるだけに止めました。
           それにしても、隣領の松平郷松平家(440石)といい、松平一門にもかかわらず滝脇家
          もなかなか不遇な扱いを受けているように感じられます。一応、滝脇家の分流とされる
          小島藩松平家が大名となっていますが、系譜上の繋がりは判然としていません。仇敵の
          大給松平家が4藩を興して比較的繁栄しているのを見ると、滝脇松平家の受難は江戸
          時代まで続いてしまっているのだなぁと、世の不条理を感じてしまいました。

           
 長松院門前から陣屋跡と思しき石垣を望む。
できるだけ石垣に近づいてみたところ。 


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