玉城城(たまぐすく)
 別称  : あまつづ城
 分類  : 山城
 築城者: 不詳
 遺構  : 石塁、城門
 交通  : 沖縄市街より路線バス38・41・49番線、
      「仲村渠」バス停下車徒歩15分


       <沿革>
           琉球開闢伝説によれば、琉球を創造した神アマミキヨが築き、その子孫が
          城主となったとされる。
           実際には14世紀ごろに玉城按司の居城として築かれたと考えられるが、
          その経緯や出自については定かでない。玉城按司は次男を大城按司、三男
          を糸数按司として派遣したとされる。
           玉城城南西の奥武島には、玉城按司兼松金(かにまちがに)のものとする
          墓がある。その伝承によれば、14世紀中頃に玉城城は攻められて落城し、
          兼松金の孫にあたる玉城大屋子(うふやく)と新垣大屋子が島に逃れてきた
          とされる。
           15世紀前半、尚巴志配下の上間按司によって糸数按司の居城糸数城
          攻め落とされたが、玉城城については伝承も記録もない。尚氏王統時代には、
          玉城城は東御廻り(あがりうまーい)の御嶽(雨つぎ天つぎ御嶽ないし雨つづ
          天つぎ御嶽)として重視された。


      <手記>
           知念半島には海抜100m超のテーブル状の台地が続きますが、その一角
          にさらに突出した円錐形の丘があります。これが玉城城で、地図で見るより
          も悠然とした威容を感じます。
           山頂の主郭から東へ梯郭状に曲輪が連なっていたそうですが、沖縄戦の
          戦闘や戦後の石材転用などにより、二の郭以下は痕跡程度しか残っていま
          せん。北東麓に駐車スペースと説明板があり、木の階段で主郭まで容易に
          登ることができます。
           主郭はぐるっと石塁が残っていて、とくに岩塊をくり抜いて作られた城門は
          圧巻です。夏至の日には、城内から見てちょうど城門の真ん中から朝日が
          昇るのだそうです。
           主郭内は部分的に樹木が伐り払われていますが、基本的には藪になって
          います。拝所跡とみられる遺構もあり、また樹木の切れ目からはアマミキヨ
          が最初に降り立ったとされる久高島方面も望めます。
           玉城城は特徴的な山の上にありますが、城域は比較的狭く、あまり実戦
          の役に立ったとは思えません。また台地上は水が得にくい土地とされ、開発
          に向いているようにもみえません。石積みも旧時代的で、糸数城と比べると
          かなり見劣りがします。『日本城郭大系』などにもあるように、戦うための城と
          いうよりは、早い段階から祭祀用あるいは領主の権威確立用の施設の意味
          合いが強かったのではないかと推測されます。


           
 玉城城を見上げる。
主郭に向かう階段から。 
 主郭の城門。
城門を城内から。 
 主郭の石積み。
拝所跡か。 
 主郭内のようす。
主郭から南方の眺望。 
 城門前から東方の眺望。


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