糸数城(いとかず)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 糸数按司か
 遺構  : 石垣
 交通  : 那覇市街から路線バス51番または53番、
      「糸数入口」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           伝承によれば、玉城城主玉城按司の三男が糸数に分封されて糸数按司と
          なったとされ、糸数城はこのときに築かれたとみられている。その年代は定か
          ではないが、三国鼎立時代初期の14世紀ごろと推測されている。
           15世紀前半に尚巴志が琉球を統一する過程で、糸数城は上間按司に急襲
          され落城した。上間按司は尚巴志の配下であったとされることから、尚巴志が
          浦添城の中山王武寧を逐って首里城に遷都した1406年以降の出来事と推察
          される。これにより糸数城は廃城となったと思われるが、詳細は不明である。
 

      <手記>
           糸数城は、玉城城と同じ台地の西端部に築かれています。太平洋戦争の
          沖縄戦で大きな被害を受けたというものの、東辺の石垣を中心に比較的良好
          に残っています。
           石垣をなぞると大きな単郭の城のように見えますが、城内は少なくとも2段に
          仕切られているようで、おそらく南西端が主郭だったと思われます。たた、城内
          の最高所は反対側の北東端で、櫓台のように石垣がせり出しています。
           さらに面白いのは、この張り出し部のさらに北東側に、主郭より10m以上も
          高いピークがあります。本土の城なら間違いなくここが詰曲輪になっていると
          思われますが、糸数城では完全に主城域の外になっています。現在は気象
          観測所になっていますが、かつては根石(にーいし)グスクという拝所だったと
          いうことです。主郭より詰の位置に祭祀施設を置くのは琉球の城の特徴といえ
          ますが、糸数城ではそれがさらに徹底されている感じで興味深いです。
           また、東の城外にも気になる遺構がみられます。台地上に区画された石塁
          や土盛りの跡がみられ、根小屋のようになっています。後世の畑の区画には
          見えないので、少なからず城に付属する遺構と拝察されます。ここは正面から
          の登城ルートからは外れているので、余裕のある方は足を延ばしてみてくだ
          さい。
           糸数城は、南城市のいわゆるグスクロードの城跡では最も規模が大きなもの
          といえます。玉城城は琉球開闢の神話に関わるうえに要害の城ですが、城域
          は手狭な感じが否めません。玉城城に戦の伝承がないことからも、いずれかの
          時期に玉城按司から糸数按司へと、周辺地域の重心が移ったものと考えられ
          ます。

 東辺の石垣。
同上。 
 同上。
東辺の石垣を城内から。 
 同上。
東辺の石塁に登る石段。 
 主郭上段のようす。
同上。 
 主郭上段から南方を望む。
主郭下段の正面入り口。 
 城外の区画。
根石グスクを望む。 


BACK