横岡城(よこおか)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 井口氏
 遺構  : 削平地、切岸
 交通  : 京都丹後鉄道宮福線
     福知山市民病院口駅徒歩10分


       <沿革>
           『日本城郭大系』によれば、播磨三木城主別所氏の家臣・井口氏が、天正年間(1573〜
          92)にこの地に逃れて築城したとされる。詳しい経緯や井口氏の出自などは不明である。


       <手記>
           由良川の氾濫原に面した小丘ヶ横岡城跡です。東麓を弘法川が、そして北西を和久川が
          流れており、両河川は丘の北麓でクロスしていますが、かつては合流して北へ流れていた
          そうです。とはいえ、改修前の和久川の流路も不自然なので、かつては丘の南を迂回して
          いたのではないかと思われます。その場合、横岡城は北西の山と峰続きだったことになり
          ます。
           麓はぐるりと民家に囲まれ、明瞭な登城路は見られませんでしたが、南西に未造成地が
          あったので、その脇から丘に取りつきました。
           山上は3〜4段に削平され、切岸らしき地形も2か所ほど認められます。今は耕作放棄地
          となっていますが、これらは城館の遺構とみてよいでしょう。他方で堀や土塁などは見られ
          ませんでした。
           井口氏について詳細は不明ですが、おそらく三木合戦に敗れて赤井・塩見氏を頼ったか、
          織田方に転向して明智家臣となったものと推測されます。前者であれば、天正七年(1579)
          に塩見氏が攻め滅ぼされた際に共に落城・没落したのでしょう。明智家臣となった場合も、
          同十年(1582)に本能寺の変を迎えるので、いずれにせよ規模的に見ても、さほど長期に
          渡って使用されたようには思えません。

 横岡城跡頂部付近を見上げる。
南側の虎口跡か。 
 切岸か。
南側の削平地。 
 中ほどの削平地。
 奥にもう一つ切岸が見えます。
北端頂部方向を望む。 
 頂部付近のようす。
頂部付近からの眺望。 
 頂部付近から城内南方を俯瞰。


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