田沼城(たぬま)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 田沼氏か
 遺構  : 土塁跡
 交通  : 東武佐野線田沼駅徒歩15分


       <沿革>
           藤原秀郷流佐野氏庶流田沼氏の居館と推察されるが、確証はない。田沼氏は、
          佐野氏初代佐野基綱の曽孫に当たる重綱が13世紀前半に安蘇郡田沼村に所領
          を得たことに始まるとされるが、異説もある。
           その後の田沼氏の事績についてもほとんど不明で、田沼を出て上杉氏や武田氏
          に仕えていたとする説もある。
           慶長二十年(1615)の大坂の陣までには、当時の田沼吉次は佐野氏に仕えて
          いたが、田沼城に住していたかは定かでない。吉次は砲術に優れ、陣と前後して
          紀州藩に召し抱えられた。したがって、遅くともこのときまでに田沼城は廃された
          ものと思われる。
           ちなみに吉次の4代子孫が、重商主義の老中として名高い田沼意次である。


       <手記>
           田沼の地があの教科書でおなじみの田沼意次のルーツであることは間違いない
          のですが、田沼城が居城であったかも含め、田沼氏の出自や動向はほとんど不明
          に近い状態です。
           2011年に城跡のすぐ目の前に北関東自動車道の佐野田沼ICが開通し、周辺は
          急激に開発が進んでいます。こばと幼稚園の西側が城跡ということですが、とくに
          説明や案内はありません。道路建設や宅地開発に先立って発掘調査が行われ、
          堀跡や土塁跡が検出されたそうです。調査時の写真と現況を比較すると、すでに
          道路やアパートが建設されてしまっているようです。
           幼稚園の西辺と、さらにその西の生活道路沿いには土塁状の土盛りが見られる
          のですが、遺構かどうかは判別が難しいところです。田沼意次は経済通として近年
          再評価が進んでいる人物ですから、城の待遇ももう少し改善してくれても良いように
          思いました。
           ちなみに、佐野市のHPでは田沼城を唐沢山城の支城ではないかとしています。
          ですが、おそらく田沼城は方形単郭ないしせいぜい複郭で、要害性もほとんどあり
          ません。主が田沼氏かどうかは別としても、在地領主の館の域を出るものとは考え
          られません。

           
 田沼城址現況。
 手前および奥は土塁跡か。
同じく土塁跡か。 


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