楯岡城(たておか)
 別称  : 舞鶴城
 分類  : 山城
 築城者: 楯岡満国
 遺構  : 曲輪、石塁、土塁、堀
 交通  : JR奥羽本線村山駅徒歩20分


       <沿革>
           承元二年(1208)、前森今嶺が築いて擶山から移ったのが始まりと伝わる。前森氏4代の
          後に本城氏5代が入ったとされるが、いずれも伝説の域を出ない。現地説明板に記されて
          いたとされる両氏歴代当主の名前も、同時代としてはかなり特異であり、にわかには信用
          し難い。
           応永十三年(1406)、最上満直の四男・満国が楯岡に分家し、楯岡氏を称した。山城が
          整備されるのはこれ以降のこととみられる。永正十一年(1514)に最上義定が伊達稙宗に
          従属すると、村山盆地の有力国人が連合して最上八楯が結成され、楯岡氏もその一員と
          なった。
           天正五年(1577)、伊達氏からの独立を果たした最上義光が八楯の盟主で天童城主
          天童頼貞を攻めると、楯岡義郡(満英)は他の八楯と共に頼貞を援け、最上勢を撃退した。
          しかし、同十二年(1584)に八楯の一人・延沢満延の寝返りを機に、義光が天童氏を攻め
          滅ぼすと、このときまでに義郡の子・満茂は最上氏に降伏したとみられる。
           その後、満茂は最上家重臣として活躍し、文禄四年(1595)に小野寺氏の湯沢城を攻略
          すると、その城主を任されて湯沢氏を称した。関ヶ原の戦い後の慶長八年(1603)に、隣藩
          の佐竹家と所領交換で最上家が由利郡を得ると、満茂は本荘城を新たに築いて本城姓を
          名乗った。楯岡城には城番が置かれたとみられるが、詳細は不明である。
           元和四年(1618)、義光の弟・光直が楯岡城に1万6千石を与えられた。光直は楯岡氏を
          称したが、満茂の楯岡氏を継いだのか、新家を興したのかは定かでない。同八年(1622)、
          最上騒動により最上家は改易となり、光直は小倉藩細川家にお預けとなった。楯岡城は
          再び利用されることはなく、そのまま廃城となった。


       <手記>
           村岡市街の北にせり出した山稜が楯岡城跡です。西から西楯山・中楯山・東楯山と、同じ
          くらいの高さのピークが横に並んでいますが、そのうち西と中の2つが城域とされています。
          全山が森林公園のようになっていて、南麓の北楯公園を起点に先端尾根を上がるルートと
          谷筋を登る七曲りコースがあり、どちらからでもぐるっと一周できます。ただし、整備は追い
          つかなくなっている感じで、とくに先端尾根筋はほとんど笹薮に埋もれていました。
           個人的には、先端尾根から登って七曲りから下りるのがおすすめです。というのも、先端
          尾根筋の腰曲輪に貴重な石塁があるのですが、やはり藪に埋もれて下りながら見付ける
          のは困難と思われるからです。先端尾根へは、北楯公園の東辺から奥の学童裏手へ回り、
          隣正寺背後まで進むと登り口があります。当然ながらすこぶる怪しい人に見られる恐れが
          あるので、訪城時には細心の注意を払いましょう笑
           前方尾根をはじめ、全体的に中小規模の腰曲輪や帯曲輪をひたすら連ねた構造で、同様
          の縄張りは同じ最上八楯の天童城にも見られます。大きく異なるのは、中楯山の主郭背後
          に明瞭な堀切が認められる点でしょう。主郭西側の腰曲輪にも堀状地形がみられますが、
          こちらは位置的にやや違和感を覚えます。西楯山の主郭には戦時中に防空監視哨が設置
          されていたそうなので、あるいは同じころの造作かもしれません。
           西楯山主郭には監視哨跡のほかに木造の展望台があり、南方の眺望が開けています。
          とはいえこの展望台もいささか劣化が進んでおり、遠くない将来に立入禁止となってしまう
          予感がします。
           ちなみに私はこのとき在来線で立ち寄ったのですが、1時間半で戻ってこなければ目的地
          までの次の列車は2時間後と、奥羽本線のダイヤがかなりシビアでした。乗り遅れると宿の
          チェックインにも間に合わなくなってしまうため、やむなく駅前からタクシーを利用。駆け足で
          訪城して七曲りを下りると少し時間に余裕があったので、速足で駅へ戻りました。

           
 東根駅から館山城跡を望む。
スタート地点の北館公園から城山を見上げる。 
 先端尾根のようす。
先端尾根の腰曲輪。 
 腰曲輪の切岸。
腰曲輪の一つ。 
 やや長くて広い腰曲輪。
同上。 
 石塁跡。
再び腰曲輪群。 
 同上。
同上。 
 西楯山主郭下の腰曲輪。
同曲輪の手水石。 
 手水石から西楯山主郭を望む。
西楯山主郭の展望台。 
 展望台からの眺望。
西館山主郭の案内図と防空監視哨説明板。 
 西楯山東尾根の腰曲輪群。
西楯山と中楯山の間の鞍部から後者の腰曲輪群を見上げる。 
 中楯山主郭下の腰曲輪。
同曲輪の堀状地形。 
遺構かは怪しい感じです。 
 中楯山主郭のようす。
中楯山主郭の塚状土塁。 
やはり遺構かは不明です。 
 中楯山主郭東側の腰曲輪。
中楯山東側の堀切。 
 同上。


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