馬場館(ばば)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 馬場氏か
 遺構  : なし
 交通  : JR東北本線鏡石駅からバスに乗り、
      「沖田」下車徒歩5分


       <沿革>
           前九年の役さなかの天喜五年(1057)に源頼義と安倍貞任の間で行われた行方原の
          戦いにおいて、貞任が陣を布いたとする伝承がある。
           天正年間(1573〜92)には、馬場八郎左衛門が館主であったとされる。館跡の東に
          ある河童淵の伝説によると、あるとき八郎左衛門が女郎寺の宥法上人と囲碁に興じ、
          日も暮れかかったころ愛馬大月に跨り帰路についた。おりしも秋の長雨で釈迦堂川は
          増水しており、川の中ほどまで来たところで大月が突然騒ぎ出した。見ると河童が馬の
          尻尾を引き抜こうとしていたので、八郎左衛門は河童を手打ちにしようとした。すると、
          河童は自分が死ぬと大勢の子分や家族が路頭に迷ってしまうと涙ながらに命乞いし、
          八郎左衛門も哀れに思い、今後は水難から人畜を守ることを約束させ、詫証文を差し
          出させたという。


       <手記>
           『福島県の中世城館跡』によると赤津神社のあるあたりに方形館の跡が残っていた
          そうですが、今では朽ちかけた社殿が建つのみで、周囲はプレス工場や土地改良され
          たきれいな田圃となっています。南側が釈迦堂側とその支脈の形成する河岸となって
          いて、僅かに地形に偲ぶのみです。
           同道いただいた城仲間とともにため息交じりでうろうろしていると、やおら工場の方に
          呼び止められました。「なんでこんなところに来た」と聞かれたので、不審がられないよう
          事の次第を話したところ、「それならあそこに行くといい」と少し離れた橋のたもとを指さし
          て、上述の河童淵があることを教えてくださいました。
           河童淵とて、説明板と地元の方が置かれた可愛いカッパの置物があるだけなのです
          が、それでもこうして館跡に繋がる縁をいただいたことは、たいへん有難いことでした。
          ここに、ささやかながら御礼を申し上げたいと思います。

           
 館跡とされる赤津神社。
赤津神社前のようす。 
 南側河岸のようす。
河童淵の説明板。 
 河童淵から馬場館跡を望む。


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