勅使河原氏館(てしがわらし)
 別称  : 勝場城、勝場館、中原館
 分類  : 平城
 築城者: 勅使河原氏
 遺構  : 土塁
 交通  : JR高崎線新町駅徒歩30分


       <沿革>
           武蔵七党の1つ丹党の流れを汲む勅使河原氏の居館跡と伝わる。勅使河原氏は、
          秩父(丹)基房の長男直時にはじまるとされる。直時の孫有直は、源頼朝に仕えて
          木曽義仲や奥州藤原氏との戦いで活躍したとされる。館跡に建つ大光寺は、有直
          によって建保三年(1215)に創建されたものと伝わる。
           南北朝時代に入ると、丹党一族は南朝方に属し、建武三年(1336)には新田義貞
          に従った勅使河原直重が山城国大渡の合戦で戦死した。新田氏を中心とする関東
          の南朝勢力が退潮に向かうと、丹党一族の多くも衰退した。詳しい動向は不明だが、
          応永二十三年(1416)の上杉禅秀の乱のころまでには、鎌倉公方足利氏に所領を
          没収されたものとみられている。


       <手記>
           神流川河岸大光寺が、勅使河原氏の館跡とされています。すぐ脇をJR高崎線が
          走り、河岸に築かれた鎌倉武士の居館であろうという以外、地形的には見るべき
          ものはありません。
           今でこそ灌漑整備によって水田が広がっていますが、周囲には農業用には使え
          ない神流川の他にこれといった川はなく、当時の技術でこの地を開拓するのは相当
          困難だったのではないかと拝察されます。隣接する児玉党一族と水利を巡って争い
          が頻発したというのも、頷けます。
           大光寺門前には勅使河原氏館跡の立派な石碑が建てられています。また、本堂
          南側には細長い塚山があります。『中世城館調査報告書集成』にみえる「土塁」に
          当てはまりそうなものはこれしかなさそうなので、この塚山が唯一の遺構となって
          いるのでしょう。

           
 大光寺。
 
門前の館跡碑。 
 
 境内の塚山。
 土塁か。


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