大宮城(おおみや) | |
別称 : 御城、大宮陣屋 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 大宮小太郎か | |
遺構 : 土塁、堀跡か | |
交通 : 東武宇都宮線野州平川駅徒歩20分 | |
<沿革> 大宮神社の社伝によると、寛正年間(1460〜66)に社が創建され、小宮小太郎が字北城 に御城を築いて大宮氏を称したとされる。小太郎の旧姓や出自、および築城時期について は詳らかでない。 一方、社殿はもともと南向きであったが、小山氏が社の南に支城を築いたため、東向きに 改められ、後に支城が廃されたので、南向きに戻されたとも伝えられる。この支城が大宮城 そのものを指すのか、大宮城に伴う支城なのかは定かでない。 貞享元年(1684)、古河藩主で大老の堀田正俊が殺害されると、遺領の内2万石が次男 正虎に分知され、大宮城跡に陣屋が構えられた。元禄七年(1694)に福島藩主の長兄正仲 が没すると、正虎がその跡を継いだため、大宮藩は10年で廃藩となった。 <手記> 大宮神社境内周辺に大宮城があったことは間違いない訳ですが、訪れてみての感想は 「よく分からない」の一言です。境内の背後は土手状になっていますが、その外側が駐車場 のような砂利の空き地となっているので、当時のままなのかどうか分かりません。 境内の西辺には水路が通っていて、これも当時からあるとすれば、堀跡の可能性はある でしょう。境内の南側には、東西方向の低まった通路があり、これも堀跡の名残かもしれま せん。さらに南へ行くと、畑の間に鳥居のある土塁状地形がみられますが、遺構かどうかは 不明です。わからん尽くしで、ややフラストレーションのたまる城跡でした。 |
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大宮神社。 | |
社殿裏手のようす。 | |
境内背後の土手状地形。 | |
境内西辺の水路。堀跡か。 | |
境内南側の東西方向の低まった通路。 堀跡か。 |
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さらに南方の東西方向の水路。 | |
そのまた南方の土塁状地形。 |