戸田山城(とだやま)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 植田氏か
 遺構  : 削平地、堀跡
 交通  : 琴電農学部前駅から車で15分


       <沿革>
           土豪植田氏の居城戸田城に対する詰城とみられている。植田氏は景行天皇の子の
          神櫛皇子を祖とし、奈良時代の明法博士讃岐永直の子孫とされる植田政景を初代と
          する。讃岐国きっての名族だが、いつごろ戸田山城を築いたのかは不明である。
           植田氏は植田美濃守安信の代の天正十二年(1584)までに、長宗我部元親に敗れ
          て降伏した。攻城戦があったかを含め、戸田山城の経歴については不明である。


       <手記>
           戸田城のある北側から眺めると、戸田山は円錐形の綺麗な山容をしています。上の
          地図にある通り、北西麓から登山道が延びているのですが、入口が分かりにくいので
          注意が必要です。具体的には、民家の間から沢沿いの細道を上がり、植田本家の墓
          というのがあるあたりで沢を渡り、斜面に取りつきます。とくに順路のようなものはない
          この斜面の中腹付近に、少々低木が生えている堀底道を見つけることができれば、
          あとはひたすら一本道です。
           しかしまたこの道が途中から永遠に続くんじゃないかと思うくらいの九十九折れで、
          足の疲れ以上に心が削られます。帰りに数えてみたら、ざっと21折れありました笑
           上り詰めた先は山頂南下の鞍部で、おそらく堀切跡と思われます。頂上はそこそこ
          広さのある平場で、小さなお社が祀られています。西側に帯曲輪が付属しているよう
          にも見えますが、いずれにせよ規模は小さいといわざるを得ません。鞍部の南側尾根
          も歩いてみましたが、曲輪形成されているような感じには見えませんでした。

           
 戸田城付近から戸田山を望む。
山頂のようす。 
 山頂からの眺望。
南側下の鞍部。堀切跡か。 
 鞍部から山頂を見上げる。
鞍部の南側尾根のようす。 


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