爺神山城(とかみやま)
 別称  : 兎上山城、爺上山城
 分類  : 山城
 築城者: 詫間景長か
 遺構  : 曲輪跡、土塁、虎口跡
 交通  : JR予讃線高瀬駅徒歩50分


       <沿革>
           香川家臣詫間氏の城とされる。築城時期は定かでなく、14世紀に詫間城主であった宅間氏との
          関連も不明である。『日本城郭大系』では、藤姓の三井隼人信行がやはり14世紀に讃岐へ配流
          となり、詫間城主(海崎城の誤りか)海崎元高に引き立てられ、元高が西長尾城へ移された際に、
          詫間城を与えられ宅間氏を称したとする説を載せている。ただし、この説では元弘元年(1331)に、
          元弘の変で流罪となった後醍醐天皇の皇子・宗良親王が、詫間三郎に丁重に迎えられたとする
          伝承との整合性がとれない。
           天正六年(1578)ないし七年(1579)、土佐の長宗我部元親が讃岐へ侵攻し、爺神山城主・詫間
          弾正景長は奮戦するも敗れて落城、宅間氏も滅亡した。城もこのときに廃されたとみられる。


       <手記>
           爺神山は讃岐国内に点在する円錐形のポッコリ山の1つです。アスファルトやコンクリートの材料
          となる安山岩の採石により、東側3分の1ほどがごっそり削られ、今ではかなり寒々とした見た目と
          なってしまっています。
           しかしながら、2013年ごろから地元NPOによる里山整備の活動が進められ、南西中腹の大師堂
          から山頂までしっかりした登山道が付けられています。駐車スペースも大師堂下に十分にあるので
          車でも安心です。登山道にはあちこちにハート形のプレートが掲げられており、何ぞやと気になった
          のですが、その答えは山頂にありました。爺神山は標高が214mということで、バレンタインデーの
          2月14日にかけて恋人の聖地としてアピールしているようです。なので、2/14に訪城される場合は
          ご留意ください笑
           登山道沿いには、山頂の主郭とその下の腰曲輪、さらにその脇の虎口状地形が認められます。
          主郭も採石により削られているように見え、東側ははや直角の掘削面が覗いており、歩き回るのは
          いささか危険です。主郭には土塁状地形も残っており、幸か不幸か眺望も佳なりです。

          
 南方の比地大から爺神山を望む。
登山道のあちこちに掲げられたハート形のプレート。 
 虎口跡か。
同上。 
 主郭下の腰曲輪。
主郭のようす。 
 同上。
山頂のようす。 
 同上。
山頂のハート側の標高モニュメント。 
214mをバレンタインデーにかけています。 
 山頂からの眺望。
ちょうど鉄道が通りました。 


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