富沢館(とみさわ)
 別称  : 入生田屋敷
 分類  : 平城
 築城者: 山岸氏か
 遺構  : 土塁
 交通  : 仙台市営地下鉄南北線富沢駅徒歩10分


       <沿革>
           天文年間(1532〜54)ごろに、山岸肥前宗成が富沢邑に居住していたとされる。『伊達世臣
          家譜』によれば、宗成は藤原秀郷の後裔・安積大膳大夫成久の3世子孫とされる。富沢館は
          この山岸氏の居館であったと推測されている。
           江戸時代初頭に、同地には入生田清康が入った。他方で、『家譜』では宗成の三男・主水
          成定を祖としている。清康と成定の関係は明らかでないが、富沢館は入生田氏の屋敷として
          続いた。


       <手記>
           富沢館は、地下鉄富沢駅から歩いて間もなく、新笊川の南岸に位置しています。昔は笊川
          が館を包むように屈曲していたようですが、館のすぐ北東にある改修顕彰碑によると、近年川
          の流路が変更されたということです。
           館の主郭部は畑地となっており、その西端付近に土塁が残っています。発掘調査によれば、
          輪郭式に少なくとも2つの曲輪を有する規模の大きな城館だったようです。今も、入生田家の
          ご子孫が敷地内に居住しておられます。

       <追記>
           都市化の流れによって館跡周辺も開発され、館跡および土塁は住宅街のなかの公園として
          残されているようです。下の畑地だったころの写真は、今では貴重なものといえるでしょう。

           
 富沢館主郭部。奥に土塁が見える。
富沢館土塁。 


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