鳥原城山(とりはら)
 別称  : 鳥原砦
 分類  : 山城
 築城者: 不明
 遺構  : 堀切
 交通  : JR中央本線韮崎駅からバス
       「松原上」バス停下車徒歩25分


       <沿革>
           石尊神社の鎮座する峰を「城山」と呼び、城郭遺構がみられる。ただし、史料にはみられず
          詳細は不明である。


       <手記>
           松山沢川の上流、鳥原集落から少し山中へ分け入ったところにある石尊神社が鳥原城山
          です。雨乞岳から派生する支尾根の小ピークにあり、規模としては砦程度のものであったと
          推測されます。
           神社本殿へは、麓から見上げるも長く急峻な石段を延々と登って行きます。石段をはじめ、
          本殿境内から麓に至るまで、文禄三年(1594)に再興されたという石尊神社はかなり地形を
          改変して建てられています。本殿境内が一見主郭のように思えるのですが、その背後には
          唯一の明確な城郭遺構である堀切があります。したがって、堀のすぐ下に主郭があったこと
          になってしまうため、おそらくこの本殿も主郭のあったピークをがっつり削って造営されている
          ものと思われます。
           石段のある側も当時はただの斜面だったものと考えられ、その1つ北側の山裾には明らか
          に人工の堀底道状地形が認められます。こちらがおそらく大手で、尾根筋には削平地状や
          竪堀状の地形も見受けられます。
           鳥原城山については、『日本城郭大系』には烽火台とありますが、こんな奥地に烽火台を
          設置したとてどこからどこに何を伝えるのか分かりません。むしろ、『中世城館調査報告書
          集成』が指摘する通り、鳥原集落から釜無川を挟んだ対岸の笹尾砦との関連を考える方が
          妥当でしょう。笹尾砦は享禄四年(1531)に甲斐の国人層の叛乱に際して武田信虎が築い
          たとされています。信虎方か国人側かは分かりませんが、この内乱において荒廃していた
          石尊神社が臨時の砦として取り立てられたと考えると、自然につながるような気がします。


           
 石尊神社本殿。
本殿背後の尾根筋の堀切。 
 本殿北東尾根筋の削平地群状地形。
同じく堀底道状地形。 
 同じく二重竪堀状地形。


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