鳥原屋敷(とりはら)
 別称  : 教来石民部館
 分類  : 平城
 築城者: 教来石氏か
 遺構  : 堀、土塁、曲輪跡
 交通  : JR中央本線韮崎駅からバス
       「松原上」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           字殿畑の周囲に堀が残る。後に武田四天王の1人馬場美濃守信春となる教来石民部景政の
          居館とする伝承があるが、確証は得られていない。


       <手記>
           屋敷跡の字殿畑は現在は休耕地のようで、標柱や説明板のほか桜が数本にベンチや四阿が
          置かれています。昭和六十三年(1988)に発掘調査が行われたということで、殿畑とその北の
          地域活性化施設があるあたりにかけて、2つの方形区画が並んでいたことが確認されています。
          現地の説明板ではここが馬場信春の館と断じたうえで、教来石氏累代の居館とまで言い切って
          います。典拠については一切触れられておらず、「発掘調査により」としか書かれていないため、
          なぜそこまで断言できるのかとても気になるところです。たしかに、鳥原の北には教来石地区が
          あり、南の白州町白須にも馬場氏屋敷と伝わるところがあるので、その間の鳥原屋敷も馬場氏
          ゆかりの館である可能性は十分に考えられますが、公設の説明板が論拠もなく断定してしまう
          のは、ちょっと問題な気がします。
           さて、遺構としては東辺の堀がもっともはっきりしており、西辺にも痕跡程度ですが堀跡が認め
          られます。南辺の堀を兼ねた沢が東辺付近で鉤字に屈曲しており、これと東辺の堀に挟まれた
          部分が出郭として飛び出しているのが特徴です。東辺の堀の東側の耕作地脇にも土塁状地形
          が見受けられ、こちらにも館域が伸びていた可能性も考えられます。かなり規模の大きな城館で
          あったことは間違いなく、馬場信春ゆかりか否かは断言できませんがかなり大身の領主の館で
          あったものと推測されます。
           ちなみに、地域活性化施設で土日のみ提供されている蕎麦は絶品です。休日の昼に訪れた
          ならば、ぜひお試しください。


           
 屋敷跡標柱。
東辺の堀跡。 
 南辺の堀を兼ねた沢。
沢と東辺の堀に挟まれた出郭。 
 堀底から出郭を望む。
東辺の堀東側の耕地脇の土塁状地形。 
 西辺の堀跡。


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