鳥山館(とりやま)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 佐々木高綱
 遺構  : なし
 交通  : JR横浜線小机駅徒歩15分


       <沿革>
           源平合戦で活躍した佐々木四郎高綱の居館跡と伝えられる。高綱は、近江国佐々木荘の
          佐々木秀義の四男である。長兄定綱は宗家を継ぎ、六角氏や京極氏の祖となった。高綱は、
          治承四年(1180)に源頼朝が伊豆で挙兵した際、兄弟らとともに馳せ参じた。高綱が鳥山に
          館を構えるのは、頼朝が石橋山の戦いで敗れ、安房で再起して以降のことであると思われる。
           高綱は文治三年(1186)に備前・長門の守護に任じられ、さらに西国各地に所領を賜った。
          高綱の嫡男重綱は、建仁三年(1203)に比叡山延暦寺の騒擾の鎮圧に出向き、戦死した。
          次男光綱は、所領のあった出雲国へ下向して乃木(野木)氏の祖となったといわれる。よって、
          鳥山館は高綱1代の居館であったと推察される。

       <手記>
           鳥山館は、八幡神社とその裏手の丘あたりにあったといわれていますが、確定はしていま
          せん。ただ神社の近くには、高綱が頼朝から拝領した愛馬生食(いけづき)の埋葬地と伝わる
          馬頭観音や、高綱開基といわれる三会寺があり、このあたりにあったことは間違いないだろう
          と思われます。
           八幡神社は三方を低い峰に囲まれた窪地にあり、鎌倉武士の館として相応しい場所である
          といえます。また、鳥山地区自体が砂田川と鳥山川に三方を囲まれた丘陵の裾野に位置し、
          肥沃な土地であったと推測されます。遺構や碑などはありません。

           
 鳥山館跡と推定されている八幡神社。
八幡神社裏手の丘からの眺望。 


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