塚川の塁(つかがわ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : 土塁
 交通  : JR中央本線日野春駅徒歩25分


       <沿革>
           集落の北側に東西方向の土塁がみられ、かつては南北方向にもあったとされる。土塁の性格
          については、いまだ不明といわれている。


       <手記>
           塚川は、甲川と鳩川に挟まれた段丘上の台地にある集落で、その北側に東西方向の土塁が
          結構な高さと長さで残っています。南北方向のものは失われてしまったようですが、脳内で補完
          すれば方形の崖端館形式の城館だったことは容易に察しがつきます。
           それでも性格不明となっているのは、1つには在地領主の館にしては少々規模が大きいことと、
          同じ台地の先端には若神子南城があることが要因ではないかと思われます。若神子城は天正
          十年(1582)の天正壬午の乱に際して北条氏が本陣を置いたところです。北杜市内には、この
          ときに新築ないし改修されたとみられる城砦が多くあり、塚川の塁についても駐屯用の兵営など
          との関連を考えているのではないかと推測されます。
           ただ、他の駐屯用の城砦と比べると逆に規模が中途半端なうえ、第一の防衛ラインであったと
          思われる七里岩からも離れています。したがって、確証は得られないもののやはり在地領主の
          居館と考えた方が無難なようには思われます。

           
 土塁。中央左の切れ込みは虎口か。
同上。 
 西からの登り道中途の切れ込み地形。
 南端の切岸か。


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