龍王城(りゅうおう) | |
別称 : なし | |
分類 : 山城 | |
築城者: 久保高実か | |
遺構 : 削平地 | |
交通 : JR予讃線今治駅徒歩15分 | |
<沿革> 現地説明板には、河野氏の祖先にあたる越智喜多守が砦を築き、越智益躬の代まで 居住したとの伝承があるとある。ただし、越智氏および河野氏の拠点は、一貫して高縄 半島周辺にあり、水軍を基盤とする同氏が喜多郡に住したとは考えにくい。 応永二年(1395)には久保因幡守高実が龍王城にあり、久保氏は数代続いて滅びた とされる。久保氏は現地説明板によれば源姓とされるが、その出自は定かでない。高実 は、南北朝時代に南朝方の将として活躍した。 戦国時代には、床崎(五十崎)氏ついで城戸氏が城主となった。城戸氏は、大除城主 大野氏の一族とみられるが詳しい系譜は不明である。天正年間(1573〜93)のはじめ、 城戸新左衛門直宗は龍王城の北方の曾根城主曾根宣高に城を奪われたが、後に奪還 した。同五年(1577)、宣高は再度龍王城に夜襲をかけ、これを攻め落とした。城戸氏は 滅び、龍王城には河内駿河守吉行が城代として入った。 天正十三年(1585)の豊臣秀吉による四国攻めに際し、宣高は豊臣方の小早川隆景 に降った。廃城時期は定かでないが、早ければこのときに、遅くとも同十五年(1587)に 新領主となった戸田勝隆が領内国人に下城を命じるまでの間と推測される。 <手記> 観光名所として知られる内子の町並みを北に見下ろす龍王公園が、龍王城跡の城山 です。麓を肱川が屈曲する独立山で、最高点は西側にあり、ここには城郭風の展望台が あります。ただし、城域は城の東端付近にとどまっているようで、展望台周辺はおそらく 城外です。とはいえ展望台からの眺めは素晴らしく、そこから伸びている長いローラー 滑り台も、試してみる価値ありです。 宿泊施設の脇を通り抜けなければならないので見つけにくいのですが、城の主郭跡と 思しき場所には石碑や説明板が置かれています。目印は、城跡とは関係のない細長い 慰霊塔(?)です。 山ごと公園化されているのでどこまでが原地形なのか判別が難しいですが、主郭の 東側(肘川側)の斜面には、腰曲輪と思われる削平地がみられます。竹藪に埋もれて いるので公園化に伴う造作とは考えにくく、貴重な城の遺構とみるべきでしょう。また、 北側斜面には旧道と思しき踏み分け道も認められ、かつての登城路であった可能性も 考えられます。 |
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主郭跡のようす。 | |
主郭跡の説明板と石碑。 | |
腰曲輪跡か。 | |
登城路跡か。 | |
おまけ:龍王公園の城郭櫓風展望台。 | |
おまけ:展望台からスタートするロングローラー滑り台。 | |
展望台から内子方面を望む。 右手中央付近に曾根城跡が見えます。 |