上原氏館(うえはらし)
 別称  : 上原出羽守館
 分類  : 平山城
 築城者: 上原出羽守か
 遺構  : 不詳
 交通  : 東急田園都市線市が尾駅徒歩10分


       <沿革>
           上原出羽守はもとは太田氏家臣で、太田資顕を扇谷上杉氏から後北条氏側へ寝返らせた
          人物とされる。天文十六年(1547)に資顕が死去して異母弟の資正が実力行使の上で家督
          を継ぐと、出奔して北条氏に仕えた。この際、出羽守は資顕寝返りの功などにより、都筑郡
          市郷(現在の市ヶ尾)を宛がわれたことが、北条氏康の書状から明らかとなっている。
           永禄二年(1559)編纂の『小田原衆所領役帳』にも江戸衆として出羽守の名が記載されて
          いるが、その後の上原氏および上原氏館については不明である。

       <手記>
           現在の東福寺周辺が上原氏の館跡と比定されていますが、確証はありません。現在も、
          付近に上原氏のご子孫が居住されています。寺は東から延びる尾根の先端山裾に位置し、
          ピークは本堂裏手の墓地およびその北側の住宅地となります。城域が境内のみであれば
          戦闘を意図していない居館造ということになり、墓地まで含まれるのであれば、一応の詰城
          まで備えられていたことになると思われます。周辺は田園都市開発によってかなり地形が
          改変されているため、今日では表面観察から判断することは困難です。
           境内の北端付近には、人の背丈ほどの塚があります。寺を建てるのにわざわざ築く必要
          のあるものとも思えず、土塁ないし古墳の断片なのではないかと気になってしまいます。

           
 東福寺。
東福寺境内敷地を望む。 
 境内にある謎の塚。


BACK