上山城(うえやま)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 上山氏
 遺構  : 削平地
 交通  : 鹿児島市電市役所前電停下車徒歩15分


       <沿革>
           正平七/文和元年(1352)、豊後の国人上山氏が鹿児島に入部して築いたとされる。上山氏は、
          正平年間(1346〜83)に、島津氏の要求で上山城を退去し、桜島へ移ったとされる。
           その後、島津氏は上山城を使うことはなく放置されたといわれるが、詳細は不明である。


       <手記>
           鹿児島城背後の城山が上山城址です。鹿児島城は、裏手の城山とセットとされることが多いよう
          に思いますが、実際にはごく初期を除いて、江戸時代の城郭には珍しくない進入禁止の御裏林で
          した。上山城が鹿児島城とは併存していなかったことは、明治五年(1872)に撮影された鹿児島城
          の写真に雑木林の生い茂る山としか写っていないことや、同十年(1877)の西南戦争で、西郷隆盛
          が城山に籠った際に洞窟に寝泊まりしていたとされる逸話からも推察できます。
           城山は東西に細長い山ですが、その尾根筋を見ても、近世はおろか中世の造作と思われる箇所
          は見当たりません。ひとむかし前の資料には土塁や堀跡が残っているとあるのですが、明確にそれ
          と分かるようなものはありませんでした。城山の山頂は展望台となっているところより一段高い所に
          あり、そこは上下2段の削平地のようになっています。上段は頂上を示すスペースとなっており、柵
          や石段などで周囲を固められています。下段の削平地は北に向かって延びており、その先端付近
          には、城山でもっとも城跡を思わせる雰囲気があります。
           総合すると、上山城は南北朝時代からせいぜい戦国時代初期にかけての、城山山頂周辺のみを
          城域とする小城であったものと推測されます。鹿児島城築城時点では城代(島津常久)が置かれて
          いましたが、それでも改修されたり城域が広げられるようなことは、ほとんどなかったとみるべきだと
          思われます。

           
 鹿児島城址の黎明館駐車場から上山城址(城山)を望む。
城山山頂のようす。 
 山頂下段の削平地北端のようす。
城山から桜島を望む。 


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