潮田館(うしおだ) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 潮田光行か | |
遺構 : なし | |
交通 : JR鶴見線弁天橋駅徒歩10分 | |
<沿革> 『新編武蔵国風土記稿』によれば、今川氏の庶流入野将監光興の嫡男光行が、潮田に 移り住んで潮田氏を称した。光行は北条氏康の家臣となり、永禄十一年(1568)に没した。 光興の三男三郎助は、出家して純應と名乗っていたが、天正四年(1576)に光行の嫡子 左馬介光永の招きに応じて光永寺を開山した。光永は同十二年(1584)に没し、純應和尚 は文禄四年(1595)に卒した。 光永没後の潮田氏や潮田館については不明である。 <手記> 現在まで続く潮田山光永寺境内周辺が、館跡とされています。遺構は残っていません。 潮田は、工業の町川崎の工場地帯の北隣に位置し、その名の通り海を目の前にした土地 であったと思われます。 |
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潮田館跡(光永寺)。 |