碓氷峠城山(うすいとうげ)
 別称  : 城山、長倉城、見晴台砦
 分類  : 山城
 築城者: 不明
 遺構  : 削平地
 交通  : JR長野新幹線・しなの鉄道軽井沢駅よりバス
       「旧軽井沢」バス停下車徒歩1時間強


       <沿革>
          旧碓氷峠に南接する小峰は城山と呼ばれ、戦国時代に烽火台や陣営が置かれたところ
         とされる。『日本城郭大系』では、武田氏が構築したとする伝承を載せているが、確証は
         ない。関東への出入りを扼する碓氷峠は古来より交通の要衝であり、古くは『太平記』に
         新田方と足利方の間で「うすい峠の戦い」が行われたことが記されている。
          武田氏によって築かれたとすれば、その時期は武田晴信が小田井原の戦いに勝利して
         佐久郡を掌握した天文十六年(1547)以降のことと考えられる。
          天正十八年(1590)の小田原の役で、前田利家・上杉景勝らの北国軍は、碓氷峠から
         北条領上州へと侵攻した。また、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いに際して、徳川秀忠ら
         東軍別動隊が中山道を西進し碓氷峠を越えている。あるいは、両戦役で峠越えの軍勢が
         城山で休息をとるなどした可能性も十分考えられる。


       <手記>
          碓氷峠の南に位置する城山は、現在「見晴台」となっています。この「見晴台」は、大正
         時代に私人が私財を投じて整備したものだそうです。ここを訪れた外国人が、景色に感動
         して「サンセット・ポイント」と名付けたそうですが、不思議なことに西側は雑木林のままで、
         眺望は東の群馬県側にしか開けていません。こちらの眺めももちろん素晴らしいのですが、
         それなら「サンライズ・ポイント」とするのが正しいような気がします(笑)。城址碑のような
         物はありませんが、見晴台の説明板に城山について少し触れられています。
          山頂は公園化されているので、遺構なのかどうかは分かりませんが、西側の雑木林の
         なかに、2段程度の削平地が見受けられます。単純に斜面を段々に均しただけといった
         感じで、あまりここで実際に戦おうという意志があるようにはみえません。山頂の公園部分
         も含めると、全体で結構な面積になり、おそらくは碓氷峠を越えて進軍する際の、軍兵の
         駐屯や休息のための陣営というのが主用途だったのではないかと推測されます。
          ただし、現在の遺構は古くても武田氏時代のものでしょうから、それ以前により小規模な
         施設があった可能性は否定できません。その場合、主用途はむしろ哨戒や烽火台として
         の面にあったのではないかと考えられます。しかも、城山は上州側からはほぼ望むことが
         できないので、建設者および使用者は信州側の勢力ということになろうかと思われます。

          
 城山山頂現況(見晴台)。
西側の帯曲輪状削平地。 
 削平地が2段ほど続いているようす。
見晴台より上州側の眺望。 


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