ウィンチェルシー
(Winchelsea)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 不明
 交通  : ウィンチェルシー駅徒歩10分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           ウィンチェルシーの町は現在丘の上にあるが、もともとは海側の麓の低地にあったと
          される。いつごろ成立しどのように発展したのかは定かでないが、同じ港町であるライ
          と同様の歴史をもつものと考えられる。
           1066年のノルマンディー公ギヨームによるノルマン・コンクエスト後は、大陸との貿易
          拠点として、五港同盟(シンクポーツ)に加盟して栄えた。
           1287年、イングランドを襲った猛烈な嵐とそれに伴う高潮により、ウィンチェルシーは
          壊滅的な被害を受けた。周辺の地形を大きく変えるほどの暴風雨の後、かつての町の
          背後の丘に、新しいウィンチェルシーが「再建」された。イングランド王エドワード1世の
          命により碁盤目状の区画に整備され、以前の町場跡はオールド・ウィンチェルシーと
          呼ばれるようになった。
           14世紀に入って英仏間に百年戦争が勃発すると、ウィンチェルシーはイギリス海軍の
          拠点の1つとなった。 1350年、イングランド王エドワード3世は、フランドルから帰還する
          途上のカスティーリャ・ジェノヴァ連合艦隊を攻撃するため、ウィンチェルシーに軍船を
          集結させた。8月29日のウィンチェルシーの海戦で、イングランド艦隊はカスティーリャ
          艦隊の多くを制圧したものの、エドワード3世らの乗艦が沈没するなど両軍とも損害が
          大きく、完勝までは至らなかった。
           新生ウィンチェルシーはブリード川沿いに海港をもっていたが、16世紀前半までには
          港の入口に土砂が溜まり、大型船の入港が困難となった。これにより、港町としての
          繁栄は急速に失われ、城塞都市である必要もほとんどなくなることになった。
           

       <手記>
           ウィンチェルシーは、ライ南東の台地の角に位置しています。地図や航空写真から
          はっきりわかる通り、正方形を基調とした綺麗な碁盤目状の区画をもっていて、周辺
          の歴史ある町と比べて異彩を放っています。その中心には広い敷地をもつ聖トマス
          教区教会があり、街全体が比較的見通しが良く、計画都市の雰囲気を如実に伝えて
          います。
           城塞都市としての遺構は周囲に3つ残るという城門です。ですが、東辺と北西隅の
          城門は容易に分かったものの、残る南にあるという門だけどう探しても見つけること
          ができませんでした。正方形の街なのだから城門もその外周に沿ってあると思われ
          るのですが、ちょっと謎です。
           もっとも見ごたえのあるのは東辺のストランド門で、日本語にするなら浜方門とでも
          いうところでしょうか。名前の通り海側の門で、麓にはかつて港が置かれていたもの
          と推測されます。石造の立派な四脚門で、柱を兼ねる円塔に入ると、今は直上に空
          が見えます。
           もう1つの北西隅の城門は四角い柱から成るこちらも四脚門ですが、ストランド門に
          比べると明らかに規模が小さくなっています。このことは、港湾都市ウィンチェルシー
          が海側からの備えや見栄えを重視していたことを示していると考えられます。
           こうした歴史的な遺構や大きな古い教会の残るウィンチェルシーですが、とかくライ
          が有名なためか、こちらはほとんど観光地化はされていません。国道に面している
          からか宿泊施設はいくつかあるようですが、飲食店などは見られませんでした。

 ストランド門。
門の円塔内から空を見上げる。 
 北西隅の城門。
聖トマス教区教会。 
 教会の中のようす。


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