ウィンチェスター城 ( Winchester Castle ) |
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別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: ウィリアム1世 | |
交通 : ウィンチェスター駅徒歩5分。 | |
地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 1067年、イングランド王ウィリアム1世(征服王)によって築かれたと伝わる。ウィリアム 1世は、前年にエドワード懺悔王の義兄ハロルド2世を討って、イングランド王に即位して いた。ウィンチェスターはローマ時代に端を発する町であるが、城が建てられた位置は、 ローマ時代の市域の南西端にあたるとされる。 1141年、イングランド王スティーブンと神聖ローマ皇后マティルダとの間の、いわゆる 「無政府時代」と呼ばれる内戦に際し、ウィンチェスター城は国王軍によって包囲された。 スティーブンが死ぬと、王位は協定によりマティルダの子ヘンリー2世が継ぎ、ヘンリー 2世はウィンチェスター城を増改築した。 1216年、第一次バロン戦争でフランスのルイ王太子軍の上陸を許したイングランド王 ジョン(欠地王)は、ロンドンを棄ててウィンチェスターに逃れた。ほどなくウィンチェスター もフランス軍によって包囲されたが、このときすでにジョンはウィンチェスターにはおらず、 大きな抵抗もなく陥落した。この戦いに際して、城も被害を受けたといわれる。ジョンの 子ヘンリー3世の代に、ウィンチェスター城は修復されるとともに改築された。グレート・ ホールが建造されたのもこのときとされる。しかし、ヘンリー3世の子エドワード1世の代 の1302年にウィンチェスター城の館が火事で焼け落ち、エドワード1世と妻マーガレットは かろうじて難を逃れたといわれる。 イングランド内戦さなかの1646年、王党派の拠点となっていたウィンチェスター城は、 議会軍の大将であったオリヴァー・クロムウェルの命令により破壊された(1651年とも)。 城はグレート・ホールを残すのみとなったが、1680年代に国王チャールズ2世により再建 計画が持ち上がった。これはフランスのヴェルサイユ宮殿に対抗したもので、ロンドン 大火後の復興計画を進めたクリストファー・レンの設計により「キングス・ハウス」の建設 が始められたが、1685年にチャールズ2世の弟のジェームズ2世が即位すると、計画は 中止された。まもなくウィンチェスター城は廃墟同然となったといわれる。 その後19世紀にグレート・ホールを取り込む形で地方議会の建物が建設され、今日に 至っている。 <手記> ウィンチェスターは、ローマ時代から重要視され、中世には何度もイングランドの首都と なった歴史上重要な街です。小高い山に囲まれた川沿いの小さな盆地上にあり、必ず しも発展性のある地形とはいえないのですが、この町が取り立てられたのは、おそらく かつてはノルマンディーからイングランドへ渡るルートが一般的で、ノルマンディーへの 海路とイングランド内陸とを結ぶ結節点に位置しているからであると推測されます。 後世、ウィンチェスター城址に唯一の残存建造物であるグレート・ホールを取り込む形 で近代建築物が建てられたために、中世の遺構はほとんど分からなくなっています。 ただ1つ、主塔跡の基壇部分が最近になって発掘・整備され、内部見学もできるように なっています。 グレート・ホールとその付属建築は、現在は博物館となっています。グレート・ホール には、「アーサー王物語」として知られるアーサーら円卓の騎士のテーブルと呼ばれる 巨大な円形板が飾られています。ただし、アーサー王は実在したか分からない人物で あり、円卓自体も実際は13世紀に製造されたものとされています。 このように、中世ウィンチェスター城の遺構は多いとはいえませんが、ウィンチェスター の町はこじんまりとしていて清々しく、全体として歴史を感じるのが楽しいところといえる と思います。 |
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塔跡の遺構。 | |
同上。塔跡地下への入口。 | |
市内の城門。 |