ウィンザー城
(Windsor Castle)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: ウィリアム1世
 交通  : ウィンザー&イートン・リバーサイド駅徒歩5分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           1078年、イングランド王ウィリアム1世(征服王)がウェストミンスター寺院の修道士から
          土地を買い取り、木造の城砦を築いたのがはじまりとされる。その子ヘンリー1世の代には
          石造の建物が増築された。
           イングランド王がウィンザー城に住むようになったのは、1100年に即位したヘンリー1世
          (碩学王)からで、それまではウィンザー南東のオールド・ウィンザーに居館を置いていた。
           1215年6月15日、イングランド諸侯や民衆の不満を抑えきれなくなったジョン王(欠地王)
          は、ウィンザー郊外のラニーミードで、王権を制限するマグナ・カルタ(大憲章)への署名を
          余儀なくされた。それでも収まらなかった諸侯はフランス王太子ルイを擁立し、翌1216年に
          ルイはフランス軍を率いてイギリスに上陸した(第一次バロン戦争)。市民や貴族の歓迎を
          受けてロンドンに入城したルイは、続いてウィンザー城に攻め寄せた。城は大きな損傷を
          蒙ったものの、およそ2ヶ月の包囲戦に耐えた。
           城は1230年までに修復・増強され、ジョン王の子ヘンリー3世によって、現存する「晩鐘の
          塔(カーフュー塔)」などが建設された。1312年にウィンザー城で誕生したエドワード3世は、
          1350〜77年にかけて、それまでのほとんどの建物を取り壊して新しく立て直すという城の
          大改築を敢行した。これは、中世イギリスで最も大規模で高額な建築プロジェクトと称され
          ている。
           1642年に第一次イングランド内戦が勃発すると、ウィンザー城は議会派の拠点となった。
          国王チャールズ1世の甥で王党派の指揮官であったライン宮中伯ルパートが騎兵を率いて
          城の奪取を試みたが、城壁を越えることができず撤退した。内戦期を通じてウィンザー城は
          議会派の軍事拠点であると同時に、捕虜の収容所として使用された。投降したチャールズ
          1世も、1649年の処刑前の短期間、ウィンザー城に収容されていた。
           1660年にイングランドが王政復古すると、ウィンザー城は再び王宮として取り立てられ、
          チャールズ2世によって修築・改修された。時あたかもフランスがヴェルサイユ宮殿を造営
          したころで、新生ウィンザー城にはロング・ウォークやスター・ビルディングといった、ヴェル
          サイユ宮殿の影響を受けた巨大建築が設けられた。また、奇しくも芸術家の庇護者であった
          チャールズ1世が蒐集し、処刑後に散逸していた美術品の多くをチャールズ2世が取り戻し、
          ロイヤル・コレクションとしてウィンザー城に収蔵したのもこのころである。
           17世紀に入り、ドイツのハノーファー出身のジョージ1世がイングランド王に即位したことで
          ハノーヴァー朝が成立すると、ウィンザー城はあまり顧みられなくなり、一般市民も訪れる
          ことのできる観光名所として開放された。ジョージ1世の曽孫ジョージ3世は、逆にそれまで
          の王宮であったハンプトン・コート宮殿からウィンザー城への回帰を図った。再々度王宮と
          なったウィンザー城は修築されて、ジョージ3世好みのゴシック様式に改められた。その子
          ジョージ4世はさらなる城の増築に乗り出し、建築家ジェフリー・ワイアットヴィルを起用して
          1824年から普請を開始した。1830年にジョージ4世が、次いで1840年にワイアットヴィルが
          死去したが、工事は19世紀後半のヴィクトリア女王時代まで続き、今に見るウィンザー城の
          外観が完成した。

       <手記>
           イギリス王室公邸の1つウィンザー城は、首都ロンドン中心部から西へ30qほどのところ
          にあります。テムズ川を遡った河岸の丘陵上に位置し、それほど要害の地とは思えないの
          ですが、ロンドン西方の水陸両路の要衝として重要視されてきたのでしょう。現在も使われ
          ている宮城としては世界最大級かつ最も古い歴史をもつものともいわれています。
           イギリスらしい重厚な灰色の城壁が連なる巨城は、今ではロンドン郊外の観光スポット
          として多くの外国人が訪れます。ツアーだといくらぐらいかかるのか分かりませんが、個人
          で入城するには3000円ほど要るようで、車で連れてきてもらった友人と顔を見合わせて、
          中に入るのは遠慮しました^^;
           ウィンザー城の南東にはオールド・ウィンザーの街があり、さらにその南東には大憲章の
          故郷ラニーミードがあります。こちらは草原の広がる史跡公園となっていて、その一角には
          記念のモニュメントがあります。大憲章(マグナ・カルタ)は城外の野営で調印を強要された
          ものなので、ラニーミードには城館があったとかいうわけではありませんが、英国史に欠か
          せない歴史的転換点の舞台として訪れる価値はあると思います。

 ヘンリー8世門を望む。
同じくヘンリー8世門と南東隅の塔。 
 13世紀に建てられた「晩鐘の塔(カーヒュー塔)」(左)。
城へ続くロング・ウォーク。 
 城下のテムズ川。
おまけ:ラニーミードの大憲章記念碑。 


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