| ウィネック城 ( Château de Wineck ) |
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| 別称 : ヴィーネック城、ヴァイネック城、ヴィンデック城 | |
| 分類 : 山城(Höhenburg) | |
| 築城者: エギスハイム=ダグスブルク家か | |
| 交通 : コルマール駅からバスに乗り、 「カッツェンタール」下車徒歩10分 |
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| 地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 1200年ごろに、エギスハイム=ダグスブルク伯によって築かれたと考えられている。同時、 伯家はホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世と対立しており、所領防衛 の目的があったとみられている。1225年に、最後の相続人であるゲルトルートが嗣子なく 没すると、エギスハイム=ダグスブルク家は断絶して、遺領はプフィルト伯やストラスブール 司教の手に渡った。 ウィネック城に関する史料上の初出は1251年で、1225年から続いていたエギスハイム 継承戦争の結末として、プフィルト伯ウルリヒ2世がストラスブール司教ハインリヒ3世・フォン・ シュターレックから城を受け取っている。それから20年後の1271年、プフィルト伯は彼らが 所有するすべての城をバーゼル司教に譲渡した。しかし、バーゼル司教はプフィルト伯に 改めて城と領地を封地として返還している。 1324年、ヨハンナ・フォン・プフィルトが死去するとプフィルト家も断絶し、ハプスブルク家 出身の夫アルブレヒト2世(オーストリア公)が遺産を相続した。城代としてヴィーネック家が 成立していたようで、1340年ごろにアンドレアス・フォン・ヴィーネックが没すると、その甥と されるハルトマン・フォン・ラートザムハウゼンが城主を引き継いだ。15世紀末には火災で 焼け落ちたとみられており、1499年時点で廃墟として記録されている。 1828年にラートザムハウゼン家が断絶すると、ガイル男爵家の所有となり、1848年には ビッカールト家の手に渡った。1864年、イサーク・ビッカールトは城跡を1フランで「アルザス 歴史建造物保存協会」に売却(寄贈)した。1971年に「カッツェンタール城修復保存協会」 へ移管され、翌1972年から修復や発掘調査が行われた。 <手記> フランス語ではウィネックですが、現役当時はドイツ語でヴィーネック城と呼ばれていたと 思われます。カッツェンタールの集落に臨む丘上に建っており、別称のヴァイネック(ワイン の峰の意)の通り、周囲にはアルザスワインのブドウ畑が広がっています。 馬蹄形の主郭に修復された主塔と城壁が建っていて、日曜・祝日の午後のみ開放されて いるそうなのですが、当の日祝にはバスが運行されておらず、残念ながら観光客には内部 見学のハードルが高いようです。主郭の背後から東辺にかけて空堀が設けられ、南と西辺 には副郭(ツヴィンガー)が巡っています。副郭は郭内に土塁状地形があり、もともとは堀が 主郭を一周していたところ、あとから外側にも城壁を設けて曲輪を拡張したように見えます。 ちなみにカッツェンタールとは猫の谷という意味ですが、集落内では猫にまつわるような ものは見当たりませんでした。 |
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| 東からウィネック城を望む。 | |
| カッツェンタールの集落から見上げる。 | |
| 西側の登城路から望む。 | |
| 背後の空堀。 | |
| 東辺の空堀。 | |
| 主郭へ渡る木橋。 | |
| 副郭を俯瞰。 元は主郭の横堀があったところを、 福郭の城壁が貫通しているようです。 |
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| 副郭内部。 元は主郭横堀の土塁か。 |
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| 城山からカッツェンタールを見渡す。 | |
| 南西下から副郭の城壁および主郭を見上げる。 | |