矢橋城(やばせ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 矢橋氏
 遺構  : 堀跡
 交通  : JR東海道本線南草津駅よりバス
       「矢橋郵便局前」バス停下車


       <沿革>
           矢橋氏の居城とされる。矢橋氏の出自については不明であるが、『日本城郭大系』によれば、
          永禄十一年(1568)に矢橋和泉守安忠の名がみられるとされる。『大系』では矢橋城を南北朝
          時代の築城と推測しているが、理由は明らかでない。
           矢橋氏や矢橋城のその後についても不明である。


       <手記>
           矢橋城は、浜街道の西側の、2本の水路に挟まれたあたりに存在したとされています。矢橋は
          琵琶湖の重要な湖港であると同時に、対岸の大津へ船で向かうのが東海道の近道であるため、
          交通上の要衝でした。近江八景の1つ「矢橋帰帆」とは、このルートで賑わう船の列を指したもの
          です。
           矢橋城の範囲は、浜街道から良覚寺および正高寺のあたりまでとみられていますが、集落内
          で屈曲する堀跡と思しき水路以外には遺構らしきものは見受けられません。

           
 矢橋城址の脇を流れる水路。堀跡か。
比定地西端に建つ正高寺。 


BACK