田井城(たい)
 別称  : 中村城、岡の城
 分類  : 平山城
 築城者: 中村氏宗か
 遺構  : 曲輪、切岸
 交通  : 琴電志度線六万寺駅徒歩5分


       <沿革>
           天文年間(1532〜55)、美濃土岐氏の庶流とされる中村加賀守氏宗が讃岐国へ移り、田井城を
          築いて拠ったとされる。一方『日本城郭大系』では、『播州諸家姓氏録』に「江井九良四良通友者
          満通二男応永十五年(1408)八月二日讃州三木郡中村の城に生る」とあり、氏宗以前に江井氏が
          田井城にあった可能性を示唆している。ただし、中村城の別称は氏宗来の中村氏が住したことに
          よると推測され、讃州江井氏の存在についても定かでない。
           天正八年(1580)、田井城は失火により焼失し、氏宗の子・恒頼(宗卜)は城山の北側に仮屋を
          建てたが、土佐の長宗我部元親に備えて要害の八栗城を築いて移った。田井城も修築されたと
          みられ、宗卜の弟・左馬助宗貞に任されている。
           宗卜は天正十一年(1583)までに八栗城を焼いて備前国に落ち延びている。その前年に元親が
          八栗城を攻めた際には田井城の北の六萬寺に陣所が置かれているため、早ければこの時点で、
          遅くとも八栗城が自焼した際に、田井城も長宗我部氏の手に渡って廃されたものと推測される。


       <手記>
           蓮池のほとりの小さな丘が田井城跡です。城跡へ行くには、とにもかくにも牟礼ゴルフセンターが
          目印となります。その脇から城山に入ると、上下2段に削平され、主郭とみられる上段に城址碑が
          建てられています。池に面していない部分も水路が巡り、その外側は水田や住宅地となっている
          ため、当時は浮島のような城館だったのでしょう。
           ちなみに牟礼ゴルフセンターは池に向かって打ちっ放しをする施設なのですが、池にポチャした
          ボールはどうするんだろうとその後も気になってしまいました。あとでツイッターでフォロワーさんに
          教わったことには、浮かんできたボールを船で回収するのだそうです。

           
 東から田井城跡を望む。
田井城城址碑。 
 下段から主郭とみられる上段を見上げる。
下段削平地のようす。 
 切岸状地形。
牟礼ゴルフセンターのようす。 


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