山崎城(やまざき) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 不詳 | |
遺構 : なし | |
交通 : 名鉄本線呼続駅徒歩5分 | |
<沿革> 築城の経緯は明らかでない。初期には蔵人浄盤なる人物が居城していたと伝わる。 後に織田信長の小姓加藤与三郎が入城したが、永禄三年(1560)の桶狭間の戦いで 討ち死にした。城は佐久間信盛に与えられ、信盛自身も一時居城していたとされる。 天正八年(1580)に信盛・信栄父子が追放されると、山崎城は廃城とされた。 <手記> 城跡は現在安泰寺となっています。北に山崎川を望む台地の先端を利用した城です が、その付け根を名鉄の線路が貫通していて、遺構は何も残っていません。 ただ、城のある呼続は江戸時代に東海道の立場として栄えたところで、西には眼前 まで海が迫っていたことから、要害かつ要衝の場所に築かれた城であることは容易に 見て取れます。信盛は鳴海城を居城としていたとみられ、基本的にはその支城として 機能していたものと思われます。 残念なのは、歴史散策コースの道標として「山崎城址(安泰寺)」と書かれた小さな プレートが寺の門前脇に立っているほかは、何も城跡を示すものがないことです。 |
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山崎城址現況(安泰寺)。 |