根古屋城(ねごや) | |
別称 : 矢名城、根古屋館、矢名三郎居跡 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 矢名氏・野田氏 | |
遺構 : 曲輪跡、堀跡、土塁跡 | |
交通 : 小田急線東海大学前駅徒歩15分 | |
<沿革> 『新編相模国風土記稿』に、「野田左衛門、矢名三郎などと云し人の居跡」とある。野田氏や 矢名氏については「村内薬師の鐘名中に治承三年、野田氏武臣志願捧一口と記す、即此人 ならん」とある。 『記稿』の野田氏が築いたものとすれば、平安末期(治承三年(1179))までには城あるい は館があったことになる。先の薬師堂および梵鐘もすでに失われており、野田氏や矢名氏に ついて詳細は不明である。 周辺に「野田」という地名がないことから、平安時代に野田氏が矢名に移り住んで矢名氏を 名乗ったものとも考えられる。 <手記> 根古屋城は、東海大学の西1q程、大根川源流の谷戸に突き出した丘陵の先端にあります。 北麓を小田急線が走り、西隣を東名高速が縦走していますが、城跡の峰と居館跡とされる東 麓の谷戸は奇跡的に無事です。 城の中心部は畑地となっており、主郭部にはビニールハウスが並んでいます。主郭の1段下 にも細い畑が主郭を取り囲むように廻っています。おそらくは帯曲輪の跡と思われます。主郭 の付け根のあたりに民家が東西に並んでいますが、このあたりが空堀の跡といわれています。 堀跡の主郭側に土塁上の土盛りがあるのですが、はっきりしているにもかかわらず『大系』に 記載がないので、後世に作られたものかもしれません。帯曲輪東から、東麓に向かって下りる 古い堀底道も残っています。居館は東麓にあったとされているので、おそらく詰城と館を結ぶ 大手道であったと推測されます。 城主とされる野田氏や矢名氏については、平安末の事績しか見つかっていません。しかし、 根古屋城は縄張りや遺構からみて明らかに室町時代までは使用されていた城です。野田氏 や矢名氏がそれまで存続していたのかは不明ですが、大根川上流を領していた人物がいた ことを示すものでしょう。 後北条氏の『小田原衆所領役帳』には、山角四郎左衛門康定が中郡北矢名などに200貫文 以上を領しています。格としては根古屋城主に相応しいと思われますが、あくまで推測の域を 出ません。 |
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日枝神社から根古屋城址を望む。 日枝神社はもともと城の鬼門(北東)にありましたが、 小田急線建設に伴い現在の位置に遷されたそうです。 |
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主郭のようす。 | |
主郭下の帯曲輪。 | |
帯曲輪東側の堀底道入口。 | |
土塁か。主郭南端付近。 この左手が堀跡とされています。 |