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横山党館(よこやまとう) |
別称 : 横山党根拠地、横山氏館 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 横山氏か | |
遺構 : なし | |
交通 : JR八王子駅/京王電鉄京王八王子駅徒歩15分 | |
<沿革> 武蔵七党の1つ横山党の根拠地跡とされる。横山党は小野氏後裔を自称し、根拠地跡に 建つ八幡八雲神社(のうち八幡神社)の縁起によれば、小野篁の子孫小野隆泰(孝泰)が 延長二年(924)に石清水八幡宮を勧請して同社を造営したとされる。隆泰の子義隆(義孝) は、勅旨牧である小野牧を任されて当地へ下向し、横山氏を称したと伝わる。 義隆の孫経兼は、源頼義にしたがって前九年の役に従軍し、安倍貞任の首級を挙げた とされる。治承四年(1180)に源頼朝が伊豆で挙兵すると、経兼の曾孫とされる時広とその 子時兼は、早い段階で頼朝の幕下に馳せ参じたとされる。建久元年(1190)に頼朝が上洛 した際には、随兵318騎のうち、横山党だけで1割強を占めていたことが『吾妻鏡』に記され ている。 しかし、頼朝死後に北条義時と和田義盛の間で建暦三年(1213)に和田合戦が勃発する と、義盛と縁戚関係にあった時兼は義盛方で参戦し、敗れて自害した。これにより、横山党 の大半が討滅され、没落した。横山党の所領横山荘も没収され、大江広元に与えられた。 <手記> 八幡八雲神社境内が、都史跡「横山党根拠地」に指定されています。ですが、ここに横山 氏が住していたという確証はありません。そもそも横山とは、現在の東京都と神奈川県の 県境付近に横たわる多摩丘陵を指すものとされています(「多摩の横山」『万葉集』)。甲斐 や信濃などの古代の勅旨牧を並べてみると、やはり平地よりも丘陵地帯の方が多いように 見受けられ、少なくとも官牧経営が主体であった初期の横山氏は、もっと南の多摩丘陵の どこかに住んでいたのではないかと、直感的に推測されます。横山氏が開拓武士団として 周辺に根を張り枝葉を広げる中で、宗家も浅川沿いの平野部に下りてきたのではないかと、 個人的に考えています。 |
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八幡八雲神社。 | |
横山神社脇の説明板。 | |
横山神社本殿。 大江広元が鎮魂のために建立したと伝わる。 |
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八幡八雲神社北の妙薬寺にある横山氏墓。 供養塔は永禄三年(1560)造立とされる。 |