吉岡氏館(よしおかし)
 別称  : 吉岡館
 分類  : 平城
 築城者: 吉岡(渋谷)光重か
 遺構  : 不詳
 交通  : 小田急線海老名駅よりバス。「宮際」バス停下車徒歩3分


       <沿革>
           『渋谷系図』や『入来院文書』によれば、相模国高座郡渋谷庄を領した渋谷庄司重国の
          長男光重は、渋谷氏と並行して吉岡太郎を名乗ったとされる。吉岡氏の館は、現在の吉岡
          字堀ノ内のどこかにあったと考えられている。
           渋谷氏は光重の弟高重が継いだとみられるが、高重は建暦三年(1213)の和田合戦で
          で和田義盛方について戦死した。そのため渋谷氏の名跡を光重が継承し、嫡男の重直を
          幕府に出仕させた。渋谷氏の系図によれば、光重の三男重保が吉岡三郎を称している。
           光重は、宝治元年(1247)の宝治合戦の戦功として薩摩地頭職を拝領し、渋谷一族は
          重直を残して薩摩国へ下向した。重保は祁答院氏の祖となり、相模吉岡氏は消滅した。


       <手記>
           吉岡字堀ノ内は比較的広い範囲を指す字名ですが、バス通りが目久尻川を渡ったあたり
          の小字道場窪と呼ばれるあたりに吉岡氏の館があったのではないかと推測されています。
           その場所は目久尻川の河岸が文字通り少し窪んだところで、目久尻川の谷戸を押さえる
          には格好の地形といえます。ただし、あくまで推定地で、遺構などはまったくありません。
           比定地周辺は、目久尻川と平行して清水川が流れ、古来水の豊かな地であったと伝え
          られているそうです。今でも清水川には台地側から地下水が流れ込み、名前の通り澄んだ
          水が静かに流れています。バス通りから少し北に入ったところでは、なんとわさびが栽培
          されていました。

           
 目久尻川と吉岡氏館比定地遠望(中央奥)。
吉岡氏館比定地周辺現況。 
 おまけ:比定地に周辺にあるわざび畑。


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