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吉崎御坊(よしざき) |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 蓮如 | |
遺構 : なし | |
交通 : 加賀温泉駅からバスに乗り、 「吉崎」下車徒歩10分 |
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<沿革> 比叡山延暦寺の迫害や浄土真宗高田派との対立に悩まされていた浄土真宗本願寺派 の蓮如は、文明三年(1471)に興福寺大乗院門跡・経覚から越前国吉崎の地を援助され、 下向して御坊を建立した。経覚としては、吉崎のある自領の河口荘を朝倉孝景による横領 から守るため、宗門違いの弟子である蓮如に代官としての役割を期待していた。 蓮如が布教を始めると、荒れ地だった吉崎にはみるみる人が集まって坊舎が建ち並び、 寺内町が形成されるほどに発展したとされる。文明六年(1474)には、加賀守護・富樫氏の 家督争いに介入して富樫幸千代を支持する高田派に対し、富樫政親を支援して幸千代を 攻め滅ぼした。これが後の一向一揆のはじまりとされる。 翌文明七年(1475)、蓮如は吉崎を退去して畿内へと戻った。一向宗の勢力を危惧した 政親と加賀門徒の間で軋轢が高まり、衝突を回避するためとも自身の安全を図ったとも いわれる。その後は、藤島超勝寺と和田本覚寺が越前における本願寺の指導的地位を 占めることとなった。永正三年(1506)に両寺が朝倉氏に敗れて、加賀へ逃れると、吉崎 御坊も破却されたとされる。 <手記> 吉崎御坊は北潟湖に三方を囲まれた半独立丘に立地し、地図上で一見しても要害の地 と分かります。実際に訪れてみるとかなり高さもあり、江戸時代中期に東西本願寺の別院 が設立された際、幕府から山麓に建てるよう命じられたというのも納得です。 そのような経緯もあり、御坊跡は史跡公園となっています。山上まで車道が通じていて、 駐車場やトイレも完備。園内は松の木立が明るく、高村光雲作の蓮如上人像が建てられて います。また、湖と鹿島の森の景色も美しく、どれほどの防備が施されていたのかは定かで ありませんが、風光明媚な場所であることは間違いありません。 ちなみに、吉崎御坊跡の写真としてよく見る城郭風の櫓建築は、東別院の太鼓堂だそう です。 |
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吉崎御坊跡説明板。 | |
高村光雲作の蓮如上人銅像。 | |
本堂跡碑。 | |
北潟湖と鹿島の森の眺望。 | |
山麓の吉崎東別院に建つ太鼓堂。 |