善波館(ぜんぱ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 善波氏
 遺構  : 堀跡か
 交通  : 小田急線秦野駅よりバス
       「善波笠戸」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           在地領主善波氏の居館と伝わる。善波氏の出自については明らかでなく、現地の三嶋神社
          にある善波氏の事跡譜は、1150年ごろの人物とされる善波左衛門善氏からはじまっている。
          善氏の子の太郎重氏は鎌倉幕府草創期に豪勇をもって知られていたらしく、付近には重氏が
          妖怪を射落としたことにちなむとされる落幡という地名や、下駄で踏みしめて跡を付けたといわ
          れる石(太郎のちから石)などがある。
           観応元年(1350)、善波太郎有胤は鎌倉公方足利基氏・関東管領上杉憲顕に属して戦功
          を挙げ、基氏より小袖を賜ったとされる。以後、鎌倉公方の配下としての活躍がみられるが、
          15世紀前半の永享の乱以降の善波氏については動向が不明となる。
           天正十一年(1583)には、北条氏忠から善波禰宜に朱印状が与えられた。この善波禰宜と
          善波氏との間に関係があるのか、定かではない。


       <手記>
           『新編相模国風土記稿』によれば、善波館は現在の三嶋神社社地にあったとされています。
          また地元の伝承によれば、神社より少し東に下った畑地にあったともいわれ、正確な所在地
          は今も不明です。善波氏についても、存在したことは間違いないとしても、出自や事跡に不明
          な点が多く、謎の一族ともいえます。
           三嶋神社は善波川とその支脈に挟まれた細尾根にあり、南東の谷戸とその先の相模平野
          に臨んでいます。たしかに神社境内は館跡というには少々手狭で、鳥居を出たあたりの畑地
          の方が居館を営むにはふさわしいように感じられます。
           神社一帯はむしろ館背後の要害といった地形で、本殿裏の民家下には堀切跡と思しきもの
          が見受けられます。おそらく、神社のあたりに詰城が設けられていたのでしょう。
           三嶋神社はさほど大きな神社ではありませんが、枝垂桜で有名らしく、この日も多くの花見
          客が訪れていました。

           
 三嶋神社境内の善波館跡石碑。
三嶋神社本殿。 
 地元の伝承による館跡周辺のようす。
三嶋神社本殿背後の堀切状地形。 


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