白砲台(はく)
 別称  : 旧砲台
 分類  : 砲台
 築城者: 清朝
 交通  : 地下鉄淡水駅からバスに乗り、
      「一信幼稚園」下車徒歩1分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           道光年間(1821~50)に築かれたとされるが、1884年の清仏戦争まで重要視されていなかったと
          みられる。1884年8月にフランス艦隊が基隆を攻撃すると、白砲台は応急的に改修された。併せて
          滬尾砲台の建造が急ピッチで進められたが、10月の淡水の戦い時点では未完成であった。
           10月2日、フランス艦隊が淡水沖に現れたが、白砲台の前方に設けられたバリケードや機雷線の
          ために淡水河にはそれ以上入れず、両砲台に砲撃を加えた。河口平地の白砲台は格好の標的と
          なり、早々に無力化されたとされる。
           同8日、フランス軍は滬尾砲台と淡水を占領すべく兵を上陸させた。しかし、霧とジャングルで敵と
          味方の区別もつかない状況に陥り、清軍に包囲されて撤退した。戦後、滬尾砲台は完成まで漕ぎ
          つけたが、白砲台は撃ち捨てられものとみられる。


       <手記>
           白砲台は滬尾砲台南西の淡水河沿いにあったとされています。中正路の大通り沿いに説明板が
          建てられていますが、その裏手には茫然とした更地が広がっているのみです。茂みの中には沢も
          流れていますが、砲台と関連があるのかは分かりません。
           説明板のすぐ脇にバス停がありますが、オンデマンドの臨時停留所のようで、普段から乗降可能
          かどうかは不明です。周辺は淡水の戦いの主戦場で、かつてはジャングルが広がっていたものと
          思われますが、今では開発が進み、進軍も困難といった面影はありません。

  
 白砲台跡現況。
比定地付近を流れる沢。 


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