ノイシェレンベルク城
(Burg Neu-Schellenberg)
 別称  : 上の城(オーバーブルク)
 分類  : 平山城
 築城者: シェレンベルク家
 交通  : フェルトキルヒからバスに乗り、
      「マウレン・エゲルタ」下車徒歩10分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           12世紀末ごろに、シェレンベルク家によって築かれたとみられている。シェレンベルク家は、
          オーストリア辺境伯レオポルト3世の五男オットー・フォン・フライジングの家臣として12世紀
          半ばに初めて記録に登場する。1250年ごろにはさらにアルトシェレンベルク城を築いたが、
          1317年に2城を含めたエシュナーベルクの所有財をヴェルデンベルク=ハイリゲンベルク伯
          アルブレヒト1世に売却した。アルブレヒト1世はマイヤー・フォン・アルトシュテッテンに2城を
          管財させたとされる。
           1394年、当時の城主ヴェルデンベルク=ハイリゲンベルク=ブルーデンツ伯アルブレヒト3世
          は、2城をいかなる時でもオーストリア公に開放するよう命令書を発した。1405年のアッペン
          ツェル戦争で、ノイシェレンベルク城は「越湖同盟(Bund ob dem See)」に攻撃目標とされ
          部分的に破壊されたが、戦後に修復されている。
           1412年、アルブレヒト3世は娘婿のヴィルヘルム・フォン・モーントフォルト=テットナングに
          2城を売却した。1437年までには、2城を含むシェレンベルクの支配権がブランディス男爵家
          の手に帰し、1507年にズルツ伯へと渡った。
           1613年、ホーエネムス伯がファドゥーツおよびシェレンベルクを購入し、1646年に同家は
          ホーエネムス=ルステナウ家とホーエネムス=ファドゥーツ家に分かれた。シェレンベルクは
          後者に属していたが、17世紀後半にホーエネムス=ファドゥーツ伯フェルディナント・カールが
          過度な魔女狩りを行ったため、弟ヤーコプの告発により皇帝の命で捕縛された。フェルディ
          ナント・カールは刑死者の財産を収奪して私腹を肥やしていたが、1684年に位を廃された
          上で不当に得た財産の返還を命じられた。家督はヤーコプが継いだものの、返還の履行が
          困難となり、1699年にシェレンベルク領をリヒテンシュタイン侯ヨハン・アダム1世に売却した。
          すでにアルトシェレンベルク城はほとんど廃墟と化していたようだが、リヒテンシュタイン侯が
          シェレンベルクやファドゥーツ(1714年に購入)を欲したのはこの2伯位が帝国議会の議席権
          を有する帝国等族であったからであり、所領には関心をもってはおらず、城館が顧みられる
          ことはなかった。
           19世紀に入ると、城跡の石材は地元の教会建設などに用いられた。1956年、リヒテンシュ
          タイン公フランツ・ヨーゼフ2世は城跡をリヒテンシュタイン公国歴史協会に寄贈した。


       <手記>
           シェレンベルクはミニ国家リヒテンシュタイン公国の北端近くに位置する地域で、800mほど
          離れてアルトシェレンベルク城とノイシェレンベルク城があります。アルトとはオールド、ノイは
          ニューの意ですが、上述のとおり築城順は逆で、ノイシェレンベルク城の方が古いようです。
          他方で現存する遺構は明らかにノイの方が規模が大きく、アルトは小城なうえ林に埋もれて
          ほとんど目につきません。こうした現況の差によって、新城と古城が取り違えられる逆転現象
          が起こったのかなと推測されます。
           城は小高い丘上に築かれており、北から西にかけては岩壁となっていますが、他の部分は
          緩やかで要害性はそこまで高くありません。地形の制約による扇型ないし野球場型といった
          感じの縄張りが特徴で、外縁の堀と城壁は弧を描いており、その西端に大手が開いています。
          城内は建物の石壁が比較的残っており、最も高い主塔のてっぺんにはリヒテンシュタインの
          国旗が掲げられています。そこまで階段状になっている城壁を登って行けないこともなさそう
          でしたが、うっかり足を踏み外すと掴まるものもないので、年齢も考慮して中二なチャレンジは
          諦めました笑
           城の前庭はキャンプないしBBQ場として利用されているようで、高校生くらいのグループが
          青春を謳歌していました。その気になれば、城を前にテントを張って宿泊したり、肝試ししたり
          といったこともできそうです。

           
 東から城跡を見上げる。
大手口のようす。 
 大手の空堀と木橋。
大手二の門を抜けたところ。 
 外縁の二重城壁。
外縁城壁上から大手曲輪方面を望む。 
 外縁城壁東端の建物跡。
主郭内部のようす。 
画面中央に主塔跡。 
 同上。
主郭北側の建物群跡。 
 主郭建物の石壁。
主郭建物の出入口。 
 西側から大手曲輪を見上げる。
北側の岩壁。 
 おまけ:シェレンベルク南東の墺との国境。
 歩いて越境できます。


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