義清館(よしきよ)
 別称  : 御屋敷、平塩館
 分類  : 平山城
 築城者: 源義清
 遺構  : なし
 交通  : JR身延線市川本町駅徒歩15分


       <沿革>
           源義光(新羅三郎)の三男義清は、天永年間(1110〜13)に常陸国から甲斐国へ
          入植し、市河荘の下司職となって平塩岡に居館を構えたと伝わる。義清は後に甲斐
          目代となり、義清の子清光は北の逸見荘へと勢力を拡大した。
           義清は久安五年(1149)に平塩で没したとされるが、その後の館については不明
          である。


       <手記>
           義清館跡とされる平塩岡は、笛吹川河岸段丘上の小さな独立丘で、現在は熊野
          神社境内や墓地となっています。丘上には、三条実美の揮毫とされる「甲斐源氏
          旧跡」の碑が建っています。遺構らしきものはとくにみられません。
           市河荘は、義清入部以前から存在する数少ない荘園の1つとされ、館跡のひとつ
          西側の丘には、天平七年(735)開基と伝わる平塩寺があったとされています。すな
          わち、平塩岡周辺は当時の甲斐国でもっとも栄えていた場所の1つであったと考え
          られます。
           個人的に気になったのは、平塩岡自体は、緩やかとはいえあまり平時の住居を
          設けるのには向いていないように見えることです。ここで、現在は畑地や住宅地と
          なっている丘の南側の平地に目を向けると、後ろには高山、前面に丘、両サイドは
          谷川に挟まれた地形となっています。似たような立地条件をもつものに、同じ山梨
          県内は都留市の中津森館があります。こちらは戦国時代の館なので時代的には
          かなり離れていますが、偶然とは思えないほど地形が似ており、甲斐国における
          ひとつの選地のトレンドのようにも思われます。この直感にしたがえば、義清館は
          丘の上ではなく、丘の南側の平地にあったと考えることができます。
           余談ですが、平塩岡の北側にある楽園酒造さんは、ワインで知られる甲府盆地
          でも何番目かに古い老舗の醸造所で、現在のご主人は3代目だそうです。歴史を
          訪ねる旅のついでに、歴史あるワインも1本嗜まれてはいかがでしょうか。

           
 平塩岡を北西から見上げる。
同じく南側から望む。 
 熊野神社。
「甲斐源氏旧跡」碑。 
 丘からの眺望。


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